« 役に立つか苦言かどうかは受け手次第(101) 弱り目には祟り目がついて回りがちなもの | トップページ | 学習雑話 »

2012/09/05

目の前の相手が折れたって何も生み出せないし壁も越えられない

20120905_img11131_1s


経済の重要性、あるいは安全保障だとか、広義の安保すなわち資源問題だとか、
そういったのは知らなきゃ議論にも参加できない、というのは厳然としてある。
正しくは、議論のメンバーとして数えられず、ただ外野として扱われてしまう。

もちろん、それでも意見を表明するコトは認められるべきものだし、現代では
真っ当な国家であれば意見表明の機会は大概それなりにあるはずなのだけれど、
そんな場においても、感情を訴えるのみに終始しては議論の体制を動かすまで
には至らず同情による救済措置が与えられる程度が関の山、ではないだろうか。

あとは清き一票という手段もあるが、いずれにせよ賛否を示せる機会は乏しい。
もしかしたら似たような感情の人間たちが集まれば議論のテーブルに代表者を
送り込むくらいは可能だろうけど、たとえば資源などのようにヒトの力なんぞ
では容易に動かせない厳然たる事実の前には、議論に勝てないか、もし勝って
しまったとしたら社会全体が衆愚と化して失敗へと突き進むだけのコトである。

--
そういう意味では勉強って自分の意見を通しやすくするためにあるんでないか。
もっと言うなら、苦手なモノゴトこそ、しっかり学んでおいた方が良いのかも。

まあそんな感じに学びの重要性を説いた論てのは、寡聞にして知らんのだけど。

|

« 役に立つか苦言かどうかは受け手次第(101) 弱り目には祟り目がついて回りがちなもの | トップページ | 学習雑話 »