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2012/10/31

いわゆる器とかそういう概念

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そんなワケで思い出したのは「甲斐性」という瀕死の単語。
男が稼いできて女が家事する分担が家庭内で成立している
状態でのみ通用するような言葉だけど、基本的な考え方は
今でも通用する部分があるのではないかと思ったりもする。

沈黙は金にならないし雄弁も銀にはならないのが今の社会。

今風に言えば「コミットメント」とかそんな感じだろうか。
重要なコトは説明して約束して、きちんと実現させる能力、
まるで政治家か経営者か何かのようだけど、今の社会では
ほとんど一般人レベルの人たちまでソレが求められている。

非常にシビアであり能力も人格も必要な、生きづらい社会。

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そもそも今まで受け継がれてきた教育の仕組みを考えれば、
そういう人たちを育てるような内容になっていないのだし、
どちらかというと深く考えず努力を尽くし結果オーライで
やってきた多くの日本人にしてみれば非常に馴染みにくい。

本当に、それを要求する社会へ向かっていっていいのかな。

ただまあ実際問題として、失敗を「努力したのだから」と
許容できるかどうかは、周辺の状況次第だったりしそうだ。
将来の見通しが暗いものでなければ、まだ許せたりしても、
今まさに暗雲垂れ込め先行き見通せぬとなれば、許せまい。

かつて不言実行というのが賞賛されたのは、そんな理由か。

いずれにしても人助けをするには時間や懐の余裕が必要だ。
一方、人を集めて稼ごうとすれば期待感がなければ続かぬ。
そして人を動かし社会を変えようとする際に不安や恐怖を
使ったりしても、どうにも上手く行かないコトが多いもの。

その余裕を作り出していかないコトには、ハナシにならん。

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