無辜の民という幻想
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「自分と同様に社会を憂える者が世間には沢山いてそれが市民の声。
そういう声に耳を傾けず勝手なコトばかりする政府や大企業が云々、
市民が不幸で不遇なのはコイツらのせいだ」的な認識よく聞くけど、
こいうのもやはり当人(たち)自身の姿に気付いていないのだと思う。
このヨノナカに生きている時点で少なくとも自らの存在している分
くらいは場所を取っていて食う分くらいは他からモノを奪っていて
吐き出した言葉の分くらいは音響ノイズを撒き散らしているけれど、
それでも生きてていいんだよと、そんな風に思うようにしたいもの。
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