動き出す前から動こうとする努力は始まっている
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他より先に変化した者や動き出した者が偉いなどとは全く思えなくて、
むしろ社会全体満遍なく動き出して変化していかんといかんものだと
思っているから遅れてでも動き出した者をこそ評価した方が良かろう。
いやむしろ遅れてでもキャッチアップした者というのは凄いもんだよ、
たとえば他者より遙かに強い慣性力を振り切ってきたかもしれないし、
先行した連中から散々莫迦にされても努力を諦めず結果を出したのだ。
そういう意味で言うならば「後か先か」という時間軸上の評価だとか
変化の度合いについての量的評価ででも比較してやるのがせいぜいで、
とりたてて優劣をつけようとするのを賢明とは到底言えないだろうと。
早さを最優先する人にとっての早い遅いの格差などと比べられぬほど
「やったかやらなかったか」の違いは大きいと思っているのだけどね。
そもそも存在していなければ程度の比較なんて実施できないのだから。
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