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2013.02.09

「あんなヤツと同じ土俵になんか上がってやるもんか」でもいい

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自覚しているかどうかは別として結果として対立する存在を挑発する、
そういう言動や行為に、人は割と容易に乗せられてしまいがちなもの。

まあ多くの場合は自分の怒りとか恨みといったのを明確に言葉として
形にできず、どころか認識すら曖昧なまま、外に出しているようだが、
それでも多くの人間は行間に敵意や悪意を読み取って反応するもので。

だからそんな無自覚な挑発に乗らないのが互いの為になるはずなのだ。

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怒りや恨みといった感情が何処へ向くべきものなのか、何に対しての
ものなのかを明確化するのは、その感情を抱く当人にしかできぬコト。

その当人以外の者たちは、せいぜいそれを手伝うくらいしかできない。
自覚を促すと言ってしまえば簡単だけど、例えば言葉を咀嚼し忖度し
思考の流れを慮り、さらに仮説を立て問い掛けて検証する必要がある。

思いの丈を引き出すには、モノゴトを細かく切り分け、一つひとつに
対して同調したり非同調だったり、といった反応を当人に提示しては
それぞれの反応を確かめながら、一歩一歩進めていかないといけない。

こういうコトを行うには、相手と同じく感情に無自覚ではいられない。
もちろん忍耐力や自制心も求められるし、なんと言っても非常に長い
時間を要する、だからどうしても身近な人を優先するコトになるのだ。

ソーシャル()な場で知り合った程度の他人に対してまでは適用できず、
せいぜい身近な人を理解するための参考情報として読み解くに留まる。

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