« 半生紀(36) 普通、って何だろう | トップページ | LOCAによる福音書? »

2013/03/28

たまには時事ネタ(91) 「意見は向こうに言ってくれ」とか言ってないで

20130328_img14293_1s


相も変わらずヨノナカいろいろあって飽きない。雑多な話題を幾つか。
(仕事が詰まっていてハナシを練る余裕がないので手抜き、ともいう)


選挙の結果が違憲だとか無効だとかいう判決が幾つも揃ってきていて、
今のような複雑な選挙制度になっている背景とか経緯とか理由などを
勉強して今後どうするかを考える、まあ手頃な機会ではないかと思う。


どこぞの水族館でイワシが群れから脱落するのでマグロに追わせれば
シャキッとするんじゃないか、とかいうニュースが話題になっていた。
海に比べれば非常に狭い水槽の中で泳がされる魚の幸福を云々したり
する気はないけど身につまされる人間はきっと非常に多いだろうなと。


ちょい前のコトだが、原発事故を理由とした「自主避難者」の中には
日頃から地域で孤立しがちだった人が多いのではないかという意見が。
まあたしかに、かなり多方面からのストレスに囲まれてたりしてても、
一つ二つの逃げ道がありさえすれば、そこに逃げていけたりするもの。
孤立というのは、逃げ場を持っていないというコトなのだなと思った。
人類の歴史上そんな感じの事情で生まれ育った地を離れ新たな土地へ
根付いていった人たちというのは少なからぬ数いるのだろうな、とも。


人工的な痕跡を地震跡だと見誤ったのを「ある種の催眠術にかかった」
と地震学者が謝罪した件、当人の意志がどうであれ一部の人たちには
不信感を抱かせる結果になってしまったのは事実であると思うのよな。
一昨年より前の状況で地震を研究し続けているだけならこれほどまで
波紋を呼ぶコトはなかっただろうに、すっかりヨノナカの目が変わり
気付けば片言隻句までが社会に影響を与える立場になっている状況に
まあ自覚が足りなかったと言えばそれまでのコトではないだろうかな。
気付けば「自分自身の思いにだけ正直でいる」というのが許されなく
なるのが、責任ある立場というのにつきものの危険なのかもしれない。

--
ソーシャル()な場を眺めたり対話に参加したりしていつも思うのだが、
「相場感」的なのが食い違う相手とはコミュニケーションとりづらい。

ある人が「世間一般の評価」だと考えているコトが、別の人にとって
「偏見」「差別」といったコトに相当するケースは、割と多いと思う。

いや人の考えるコトなんて、たいがい偏った見解でしかないんだけど、
自分の思うのに近い見解については偏見と言わないのが普通なのかな。

自分に類似の経験がないコト、かつ想像力が及ばないコトについては
無知なもので、かつ無神経になり得るものだというのは、誰でも一緒。

人が一生に経験できるモノゴトなんて非常に限られた範囲でしかない、
しかも経験を積めば慢心に陥りやすい、となれば当然ながら誰だって。

そんなワケでいろいろな話題に触れるたび可能な限り想像力を働かせ
考えを巡らせ読み解こうとしているが、まだまだ浅い気がしてならぬ。

|

« 半生紀(36) 普通、って何だろう | トップページ | LOCAによる福音書? »