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2013/03/20

固く存在するかと思えば空気のようなものにも思える

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というか「自分で道を見出す」というのにも充分な意義があると思うけどね。
たとえば2つ3つの分野で実際やってみれば、道を見出す際のコツが分かるし、
他の人が道を見出すのにどれだけの蓄積をしたか、その経験から推し量れる。

秋葉原案内を頼んできた友達も、築地場外に詳しいし他の幾つかの道を知る。
一部には重なる部分もありつつ、それぞれ異なる分野に踏み込んでいるのを
互いに知っているから、別の道を見出すときの要領で説明するし質問できる。

昨日はソーシャル()な方面で「共感というのは同じ感情を抱くコトに限らず、
『その感情を抱くのは人間として自然』という認知も成り立つ」とか書いた。
たぶんそれはメタな認知の水準において共感しているというコトになるかと。

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ついでに。買い物を終え2人で散策している最中のコト、擦れ違った3人組の
若い男たちが喋っている内容が聞こえてしまい、通り過ぎたあたりで思わず
隣を歩く友人にだけ聞こえる声でツッコミを入れ「エアリプか」と言われた。
こういうのを割とよくやってしまう(良いか悪いかという問題は棚に上げて)。

何か一つの行為に集中するのは得意でないが何かしていても周囲のモノゴト
デキゴトなどが目や耳に入ってきがちな性質だもんで見知らぬ他人の会話や
行動などを何かの拍子に観察してしまったりする場面がよくあるのだけれど、
その反応を伝えるほどの間柄ではないので誰にともなく口にしてしまいがち。

当人に聞かせたいというのではなく自分の声の届く範囲に聞かせたいのかも。
もしそれであるならばソーシャル()な領域でもリアルな領域でも同じコトだ。
自分の周囲の人の方が自分の考え方に触れる機会は多く理解してもらってる
割合は高いはずで、見知らぬ他人よりは伝わると期待して甘えているせいか。

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