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2013.04.13

自らの内に芽生えるナニカ

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まあしかし敵を作らぬようにするのは非常に難しいもので、
集団内における本能的な敵味方認定のようなのを避けつつ、
多くの人たちとコミュニケーションを続けるのは特に困難。
「ならば黙って観察しよう」となりがちだけど、それでは
コミュニケーションにならぬワケで、バランスに苦慮する。

そもそもコミュニケーションしたいという目的は何なのか。
知りたいコトや伝えたいコトはいろいろあるはずだけれど、
その全てを自覚できているとは限らず、むしろ自覚のない
ままに意識上の目的より優先しているコトがあったりする。
あえて認識しようとしない感情、そこに目を向けないとな。

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実は「アイツ気に食わない」的な感覚から発しているのに
その感情を自尊心か何かがマスクしてしまって自覚できず
「理屈で考えてもアイツが悪い」とか思い込むコトにして
その【内向きの論理】を外にも向けて垂れ流してるような
例は、ネット上の論争など見てれば掃いて捨てるほどある。

相手だって、よほど勘が鈍いか、あるいは勘付いても気に
留めず受け流せるような人物でもなければ、半ば無自覚の
まま反発して、議論のフリした感情的な対立となっていく。
ところが、そういう構図を指摘しようにも、よほど上手に
やったつもりでも当事者から敵認定されたりで始末が悪い。

目下のトコロは、口を挟むにしても第三者の姿勢を崩さぬ
よう慎重に、また同時にさりげない風を装って頃合を測り、
誰に言うでもなく「自分ならこうする」的な発言を投げる、
そんな感じのスタイルを心掛けているけれど完璧ではなく、
しばしば他人事のように受け取られそうなのが課題である。

まあそもそも自分自身も無自覚の感情のまま動いたりする
場面が必ずあるはずなので、それを認識する努力も必要だ。
その意味では、自分自身こそが円滑なコミュニケーション
における最大の障害、というコトが言えるのかもしれない。

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