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2013/05/09

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(116) 意志の下にも反同調圧力

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出歩いていると、いろいろなモノに出会う。まあ出会うためにも歩き回るのだけれども。
顔っぽく見えるナニカから、四つ葉のクローバー、小動物などなど、とにかく飽きない。

そういうのは持ち帰ったり写真を撮ったりして、身近な人にあげたり見せたりしている。
先日の散策の途中で拾った、少し透明感のある石は、鉱物が好物の小学生の甥にあげた。
そしたら、「これメノウだよね?」と言うので「たぶん違うと思う」と答えたのだけど、
「メノウじゃない証拠は?」と聞いてきた。いやそれを言うなら、メノウであるという
証明は「この石がメノウであってほしい」と考えている君自身がすべきコトではないか。

まだ幼くて証明するにも手段が限られている。メノウだと主張する理由を聞いてみれば
「だってボクが持ってるメノウに似てるもん」としか答えられない。だけど君にはもう
親からもらったパソコンがあって、インターネットで調べるのも自分で覚えたはずだよ。
ネット上に氾濫する虚々実々の情報から正解に近いものをどう選び出していけばいいか、
どう考えを繋ぎ合わせていけば間違いを減らしていけるのかは、自分で体得しないとな。

安易に他人を信じるのを避ける姿勢は悪くない、安易に自分を信じるのも避けられれば。

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感情を肯定してくれそうな理屈に縋りたがるキモチは子供から大人まで誰にもあるもの。
でもまだ屁理屈を捏ねるくらいの範囲に留まっているならマシな方だ。感情を守ろうと
必死になるあまり新たな忌避感情を次々と自分の中に作り出してしまう、ある意味では
自己免疫疾患のような状態に陥っていかのるような人も、ヨノナカたまにいるのだから。

曰く「○○は自分の理屈を否定するから敵だ」(傍目には屁理屈に見えると指摘された)、
「△△許さん」(感情や屁理屈を共有でき信奉してる人物に対し否定的なコトを言った)、
「××は絶対に信用できん」(自分の理屈体系にそぐわない情報を発信する組織や人物)、
酷くこじらすと「公的機関が言うコトだから全て信じられない」「マスコミは」等々と。

こういうのに対し「陰謀論」などと呼ぶのは批判的な意味合いもあるが、それと同時に、
いやむしろこっちの割合の方が多いように思われるのが、「もっと考えろよ」「アホか」
というくらいの意味合いではないかな。当人の感情に都合良いコトだけ取り入れている
非合理的な考えだ、という指摘に、揶揄の意図を混ぜ込んだ言い方なのだと思うのだな。

少なくとも「絶対に受け容れたくない」というキモチの存在は外からも何となく見える。
ソーシャル()では、いろいろな者に出会う。まあ出会うためにも見て回るのだろうけど。

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