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2013年5月

2013.05.31

時代から少し遅れて動く価値観

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まあ選択肢が多すぎるとそれはそれで節度なくなりそうではある。
というより慣れている選択肢の範囲が時代により変わってくると、
増減いずれにせよ、また範囲のズレでも、いろいろ不慣れになり、
内面的外面的な齟齬が生じて、時代の変化を恨んだりしてしまう。

恨んだって何も変わらんのだが、ついそう思ってしまうのが人間。

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2013.05.30

「これしかない」のはツマラナイ

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微妙な緊張感が続いて落ち着かない気分を解消する手段に乏しく、
精神的余裕を作り出す機会が少ない状態では湿っぽい気分になる。
気付けば空も湿っぽくなって、そういえば梅雨に入ったとの発表。

雨や曇りの日の散歩も好きなのは幸いではあるけれど、それでも
散歩しかないと思ってしまうと、少し面白くないような気もする。
他にも多くの選択肢がある中での散歩の方が、何故か楽しいのだ。

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2013.05.29

一向に慣れないコトとは

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そういう微妙な緊張感の繰り返しには一向に慣れるコトができずにいる。
おそらくは何かの性分のようなのが引っ掛かっているのだろうとは思う。

まあそれは特定の障害があってできていないのだけど、特定のデキゴト
への対応は慣れてしまえば「不慣れなデキゴト」ではなくなるのが通常。
そういう経験を重ねて不慣れな部分を少しずつ減らすのが人生だと思う。

さらには何度となく不慣れなデキゴトを体験して乗り越えて経験を積み、
そこから不慣れなデキゴト全般に共通する要素を導き出して慣れていき、
ある程度は『不慣れなデキゴトへの対応』そのものに慣れるコトも可能、
で、そういう状態になっていくのが老練さといったものなのではないか。

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2013.05.28

月末にも追われている

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月曜朝からの作業は午後になって停滞して夕方には別件の連絡で
完全に中断して夕食後になってようやく再開している状況である。
この分なら明るくなる前(今は朝が早い!)には終えられると思う。

少し仮眠したら昼前に起き出して夕方に入ってきた急ぎの作業を
何とかしてやらないといけない。あと若干の買い出しが必要だし
月末が近いので床屋にも行かねばならんので合間を見て出掛ける。

なんだか割と慌ただしい一日になりそうな予感が未明からしてる。

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2013.05.27

「見逃されてない」という心理が追い詰める

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月曜の朝、しばらく詰まっていた作業が何かの弾みで流れ始めた。
閉塞が解消された原因を探れば次に詰まったときの参考になると
思いつつも、目の前の作業に没入してしまって究明には至らない。

まあよくあるコト。

もともと予定より遅れていた作業なので少しくらい加速したって
取り戻しようもないのだけど早く終えられるに越したコトはない、
「また詰まってしまう前に終わらせないと」といった意識もある。

実際よくあるコト。

やれ腹が減っただとか暑くなってきただとか外が五月蝿くなった
とか、集中力低下につながる事象は山ほど考えられるもんだから、
そういうのに遭遇してしまう前に、少しでも進めておきたいのだ。

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2013.05.26

暗箱に針穴(52) 少しずつ古くなる機材で

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今メインで使っているカメラボディはファームウェアのバージョンアップで
大きく機能を改善したとはいえ3~4年前の機種で徐々に追い越されつつある。
後継機の噂も出てきて気になるトコロではあるが、フルサイズ機種の拡充で
押され気味のAPSC判に次があるか怪しい情勢だし、そもそも金銭的な余裕が
できる見通しなど当面ほとんどないのだから、出たってもすぐには買えまい。

特に見劣りするようになってきたのは感度。仕様では標準で6400まで使える
とされるがノイズが多いので通常は3200ないし2500までに抑えて使ってきた。
画素レベルまで拡大して納得できるのは1000くらい、というのが個人的感覚。
とはいえフル画質で使うコトは滅多になく、普通はリサイズして使っている。
縮小すれば細かなノイズは埋もれるので、最近は用途によって高感度も使う。

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2013.05.25

自称逸般塵の不通の日記(436.5) 土曜の散歩

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雨こそ降らなかったものの曇って涼しくなった土曜、夕方に散歩。
居ても立ってもいられなくなって、つい歩き出した。運動不足だ。
少しくらい自宅を出て身体を動かさないと頭が働かないと感じた。
とはいえ湿度が高い中で大汗かきたくないし腹が減るので低速で。

電車やバスで移動する費用も勿体ないし時間も潤沢ではないので
自宅から2駅分、片道3kmほどの道程を往復、予想通り途中で腹が
減ったけれど我慢して、なんとか自宅まで身体を持ち帰ってきた。

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2013.05.24

自称逸般塵の不通の日記(436) また一週間が過ぎて

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日中の暑さに振り回されたりしていた今週は、作業が滞っている。
一向に進まぬストレスというかプレッシャーのようなものがあり、
未明の涼しい時間ならどうだと徹夜してみたもののやはり進まず、
むしろ昼間の変な時間帯に寝落ちしてしまい頭痛に見舞われたり、
その解消のために短時間の仮眠をしようとしたら再び寝過ぎたり、
いろいろあって食事も不規則になり、どうにも調子が上がらない。

作業で少し悩むようなトコロが発生すると長く考え込んでしまい、
先へ進めなくなるコトが多い。それを避けるため少し気晴らしを、
と違うコトをすれば戻ってくるまでに長い時間が掛かってしまう、
そのうち空腹や睡魔が襲ってきて勝てないので長く中断する始末。
その繰り返しで日々が過ぎていってしまうのは非常に宜しくない、
だから外へ逃れて気分を切り替えたいけど金銭的な余裕もなくて。

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2013.05.23

ヒトから思い遣らるキミ

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なにせ思う側と思われる側の認識の差は常にあるもの、
しばしば行き違って問題を生じたりもするものである。

善意で気を遣ったつもりが相手から拒絶されたなんて
ハナシは枚挙に暇がないワケだけど、その対象の人に
「気を遣われているコトを常に意識せよ」と言い放つ
有様には迷惑や有害な善意もあるぞと反論したくなる。

さらに言うなら、その余計な善意に反発すれば面倒に
りそうな場合などは止むを得ず受け容れてしまったり、
何故か「受ける側が気を遣う」といった理不尽に陥る。
あれっ? どっちにしろ我慢する方が損するのかコレ。

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2013.05.22

ミウチを思い遣るキモチ

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週末に実家へ行ったら母が少し体調を崩していて、
ちょっとした風邪や腰痛というくらいとは言うが、
傍から見ていると酷く辛そうで、心配してしまう。

週明けに電話してみたら調子は戻ってきつつある
ようだったので少し安心したが、不安そのものは
確実に存在したのだし、その痕跡も少し残ってる。

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2013.05.21

自称逸般塵の不通の日記(435) まぁ夏日

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いよいよ夏を実感する暑さになった日、外でのアポイントに出掛けてきた。
既に請け負っている作業が遅れて迷惑をかけているものの先方は人手不足
らしく新規の発注をかけてくれたのだった。暑いけどしっかりやらんとな。

まだ夜になれば気温が低めになるのでマシだが今後4~5カ月は暑さが続く。
盛夏になれば夜も寝苦しい日々が続くコトだろう、体力も削られるだろう、
そして仕事も(若干の期待を込めてだが)忙しくなるだろう、養生しないと。

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2013.05.20

そんなの知らんがな

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そういえば先日の「こくご」の件にも関連してくるんだけど、
実はよくあるクイズや謎かけのようなのが、割と苦手である。
ていうコトを思い出したのは、ソーシャルで流れてきた変な
クイズのようなヤツを見て友達と言葉を交わしたときのこと。

この手のクイズというのは、回答に影響する幾つかの情報の
一部を恐らく意図的に伏せて投げかけられたりするので困る。
質問に明記されていない部分は何なのか、そしてその理由は
何なのか、そこに気付かないと“正解”にならない仕掛けで。

要するに「出題者の真意」を忖度させられるのが面倒なのだ。
もっと正しく言えば、その出題者の意図についていろいろと
可能性が浮かんでくるものの多すぎて絞り込むのが辛くなり、
途中で投げ出したくなってしまう、というコトなのだと思う。

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2013.05.19

ふるくさいしごと!

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自由業というスタイルを選択したのは必ずしも前向きな
意識だったワケではない、というのも既に何度か書いた。

そもそも今やっている職種ってのは珍しいものではない。
自由業もいるし会社員もいて、そういう競争は常にある。

そして多くの人が携わっているだけに標準的な手法など
概ね確立されているが、その割には明確な基準などない。

だから新規の案件を見積もる際にはいつも悩んでしまう。

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2013.05.18

あたらしいしごと?

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知人を経由して紹介された客先から案件の提示を受けて
見積もりを求められたのだが幾らにするのが妥当か悩む。

自分で値段をつけて売り込まねばならないのが今の商売。
頭や身体を働かせて成果を作り出すような職種の自由業、
その対価の決めようは幾らでもあるというかありすぎて、
自由なようでいて相場のようなのが微妙にあって難しい。

今の日本で言われる自由とは欧米の言語にあった概念を
輸入する過程で既存の(あまり使われてなかった)単語に
割り当てた意味となっているが、中世の頃などは大きく
異なった意味を持っていて云々、とは以前にも書いたな。

どちらかというと古い意味の方が、自由業の頼りなさを
的確に示しているような気がして、実は気に入っている。

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2013.05.17

思考の志向・こくご(論理的でない)

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ソーシャル方面では論理的な著述を訓練する機会が乏しいとの話題も。
たしかに国語の授業では基礎となる文字や文法の学習から一足飛びに
文学作品の情緒的な解釈ばかりさせられていたような印象が残ってる。

いわゆる修辞法の教育など日本の科目から失われているのではないか。
その背景となる論理学、さらにそのエッセンスを含む数学については
初等教育には出てこないし、「公式を暗記する科目」だと捉える人も。

そういうのが、いきなり大学でレポートを“書かされる”ようになり、
「文学の読解が苦手で理系に」という人が苦手な文章を書かされたり、
「論理的思考が苦手で文系に」という人が苦手な論述をさせられたり。

複雑に区分された学習体系の狭間に転げ落ちているのかもしれないな。

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2013.05.16

思考の志向・並ぶ木を見て森を思う

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暗記物といえば活用や年号に公式などいろいろあるが、元素の周期表
については思春期の男子が好みそうなエロネタが多いのが伝統らしい。
昔の学生は男ばかりだったから、なんて話題もソーシャル方面で聞く。

まあそれはそれとして、周期表は一時期ほぼ暗記していたコトがある。
全体像を画像のように記憶し、さらに縦横の並びそれぞれ覚えておき、
図に当てはめるように引き出していた。高校・大学の頃だったと思う。

その図の形状は電子軌道の「定員」を思い出すのに役立ち、族ごとの
性質を思い出す糸口に繋がり、まあ要するに図に込められた意味合い
というのを、それなりには活用していたと言えるんじゃないだろうか。

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2013.05.15

思考の志向・全体像を念頭に置いて

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たいがい文章を書くときには全体の論理構造を考えるようにしている。
いやそんな御大層なコトでもなくハナシの流れを意識してる程度だが、
このブログでも一つのエントリ内での構造、それから前後のエントリ
との関係、写真やタイトルと本文との関係など、それなりには考える。

たとえばニュースを見たときの反応も、まずはその背景にある事情を
推測して社会全体の動きの一端が表れたものと捉えようとし、その中
に自分はじめ様々な人々がどこにいるかポジションを把握、といった
考えを巡らすのに割と時間を割き、おかげで反応は少し遅い気がする。

そういう習慣は、ある意味で慎重さに繋がっているのだろうとは思う。
といっても人間の持つ能力なんて大して差があるワケでもないものだ。
全体像を描いた上で細部を煮詰めていこうとすれば工数が多くなって
時間がかかってしまうのも致し方なく、あとは程度の問題となるかな。

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2013.05.14

予測と計画の取扱の問題

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片付けるぞと意気込んでみたものの、しばしば作業時間の見積もりが
短すぎるというか予測を実績が大幅にオーバーするコトが多くて困る。
その対策も常々いろいろ考えてるつもりだが、なかなか解決は難しい。

今回のように後の予定が決まっていたりする中で「ここまででないと
厳しいよね」という状況そのまま計画にしてしまっていて、ある種の
期待感を込めた予想になってしまっているのが問題ではあると思うが。

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2013.05.13

自称逸般塵の不通の日記(436) 調整の週

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今週は25℃前後の最高気温が続く予報だったが月曜は曇って涼しめになった。
まだ今の時季では真夏とは違い曇っても蒸し暑いという状態にはならず幸い。

とはいえ外出せず作業に取り組んでいては運動不足が酷くなるばかりなので
やはり今週中のどこかで(ただし費用面の都合から1~2回に限り)出掛けたい。

……とか思っていたら新しい案件の相談が舞い込んで初回打ち合わせが決定、
水曜に出掛けるコトになったので火曜日にスパートを掛けておくコトにした。

てなワケで明日は暑くなる予報だし涼しい喫茶店に入って一気に片付けるぞ。
心身の調子を整える、仕事の調子を整える、いずれも適度な外出が役に立つ。

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2013.05.12

夏へ向けての転換点

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雨の降らない日は暑くて、そろそろ青空が恨めしい季節になってきた。
このところ身体が重たく感じられるのは、暑いのが苦手だから出歩く
頻度が減ってしまう上に、暑さで消耗する体力を補おうと寒冷期より
摂取カロリーが増えがちになるといった、複合的な要因だと思われる。

運動不足をもたらしている外出頻度の低下の原因は他にもう一つあり、
せっかく仕事が先月に続けて入ってきたというのに作業の進みが遅く
下手をすれば続かなくなってしまうのではないかという危機感と焦り、
それによる自縄自縛、言うなれば「終わらないと動けない」精神状態。

喫茶店などに出て気分を切り替えて作業するという方法もあるけれど、
今は仕事をした分が収入になるまで待たねばならない状態にあるから、
暑くなる自室内で我慢して仕事を続けるというのが日常になるワケで、
早く仕事を片付けて収入に変えて次の仕事を迎え入れたいのだけれど。

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2013.05.11

自称逸般塵の不通の日記(435) 雨の土曜日

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初夏の陽気が続いたおかげで起床トリガが夏モードとなって、
気温が上がると目覚めるようになってしまっていたおかげで、
前夜から雨が断続的に降り続いて気温の低い今朝は寝過ぎて、
そのせいか軽い頭痛を伴った微妙な寝起きとなってしまって。

しかし初夏の雨は涼しいので思い切って歩ける貴重な機会だ。
日曜は晴れの予報だから洗濯物を干して仕事するつもりだし、
歩けば体調不良も少しは緩和されるだろうという期待もあり、
一刻ばかり近所の住宅街や小さい川など眺めつつ歩いてきた。

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2013.05.10

GO-理性

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傍から見て合理的な判断・行動をしていないと思われるような場合って、
「その人の中では合理的な判断」の結果だったりするのが普通であって、
大概は「傍から見て合理的」でなくなっている理由が厳然としてあって、
ただししばしばそれを明確に自覚できていなかったりするものであって、
つまるトコロ人間の思考というのは限定的な範囲内でしか合理的でない、
というだけのコトだけど合理性の範囲が重ならないと話が噛み合わない、
ただ噛み合わぬ相手が合理的でないと考えたがるのが人間だし良くない
トコロだとは思うのだけれど分かっていたってなかなか容易に直らない。

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2013.05.09

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(116) 意志の下にも反同調圧力

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出歩いていると、いろいろなモノに出会う。まあ出会うためにも歩き回るのだけれども。
顔っぽく見えるナニカから、四つ葉のクローバー、小動物などなど、とにかく飽きない。

そういうのは持ち帰ったり写真を撮ったりして、身近な人にあげたり見せたりしている。
先日の散策の途中で拾った、少し透明感のある石は、鉱物が好物の小学生の甥にあげた。
そしたら、「これメノウだよね?」と言うので「たぶん違うと思う」と答えたのだけど、
「メノウじゃない証拠は?」と聞いてきた。いやそれを言うなら、メノウであるという
証明は「この石がメノウであってほしい」と考えている君自身がすべきコトではないか。

まだ幼くて証明するにも手段が限られている。メノウだと主張する理由を聞いてみれば
「だってボクが持ってるメノウに似てるもん」としか答えられない。だけど君にはもう
親からもらったパソコンがあって、インターネットで調べるのも自分で覚えたはずだよ。
ネット上に氾濫する虚々実々の情報から正解に近いものをどう選び出していけばいいか、
どう考えを繋ぎ合わせていけば間違いを減らしていけるのかは、自分で体得しないとな。

安易に他人を信じるのを避ける姿勢は悪くない、安易に自分を信じるのも避けられれば。

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2013.05.08

育児・教育という聖域?

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そんなワケで、育児などに少し興味を持ってソーシャル()方面を見渡すと、
他人の子育てに口出ししたがる人は想像以上に多いらしいと気付いて驚く。

「それは親の責任!」「親なんだから気をつけて!」「それでも親なの?」
等々、少しでも「あるべき姿」から外れていると判定された親は総攻撃を
受けたりしており、まるで魔女裁判か何かのように思えてしまう異様さだ。

もちろん、子供に対する姿勢というのは程度問題で、どのあたりから虐待
だといった線引きは非常に難しいものだし、ましてやソーシャル()上での
断片的な発言の、さらに一部の言葉尻のみを捉えて即断できるようなもの
であるとは到底思えない。なのに平然と「親の資格云々」などと非難する。

もとより他人に対し上から目線で文句をつけるのが容易なソーシャル()だ
とはいうものの、こと育児や教育というトコロになると特に原理主義的な
意見が幅を利かすというか寛容さの欠片も見られなくなるので奇妙なもの。

何というかこう、子供という存在を過剰に大切にするあまり、その子供の
親の尊厳など軽んじて構わないというコトなのか、など思ってしまったり。

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2013.05.07

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(115) 知らぬならほっとけ、とは言えない

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より子育て支援に役立つ社会保障制度を、との動きがあるのは知っている。
それはまた、単身者や子供のいない夫婦に不公平感をもたらすのも事実で、
「子作りどころか結婚もできない人までがリア充のために負担させられる」
なんて嘆きの声もソーシャル()では散見され、それなりの支持を得ている。

税と社会保障の不公平感というのは常にあって完全になくすコトは無理だ。
少し前には生活保護など槍玉に挙げられたりしていたし、年金や高齢者の
保険制度なども世代間の負担格差の大きさが問題視されている、けれども
これらの制度があってようやく生活が成り立っている人がいるのも事実で。

底辺に近い方から徐々に貧困へと沈みつつある平成の日本社会、いや国の
経済状況が悪化すると底辺から沈んでいくというのは古今東西ほぼ共通の
コトなのだけど要するに近年の日本経済の停滞が長く深刻であったという
事実を示しているだけなんだが、そんな中だから人々は他を嫉み妬みする。

それともう一つ、家族観が大きく変化したコトも影響しているような気が。
世帯が小さくなり単身生活者が増えたし世代間の交流も少ないもんだから
身近に子供がいなくて子供たちの実態がよく分からない、という人も多い。
こういうのもまた無用な嫉妬のようなものを招く原因の一つなのだろうな。

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2013.05.06

子供の日に子供と遊んだ件

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昨日は年輩の友人&その娘&孫と一緒に、子供向けの動物園へ行ってきた。

保育園児の姉妹は動き回るより喋りまくる方らしく、すぐ何処かへ消えて
しまうコトはなさそうだけど連れ歩くのは容易ならざるコトであると知る。
まあ初対面のオッサンは主に荷物番や運転手や祖母の話し相手だったけど、
帰りの車の中で眠りに落ちる母親や祖母を尻目に止めどなく喋り続け歌い
続ける、疲れを知らぬ子供らの様子を見ていると、その苦労が想像できる。

これが毎日のように続きながら次第に成長して行動範囲が広がっていって
心配事も増えたりするのだろうから、親というのは大変なものであるよな。
もちろん辛いばかりでもなく、成長していく姿は楽しみでもあるだろうし
日常に飽きるコトはないかもしれないが、子供たちのために費やす時間や
子供たちのための出費が戻るワケではないので、その支えは欲しいトコロ。

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2013.05.05

他人の良心の仮借による呵責?

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たとえば、ある友人が嫌悪している存在の中に自分自身も含まれるような場合、
ソーシャル()では「アイツには内緒だよ」とか「アイツの前では言うまい」が
通用しないので割とよくあるコトのように思うんだけど、そのときどうするか。

ついつい自分へ(直接に限らず近いトコロも)向けられた嫌悪に反発してしまう、
嫌悪感を隠そうとしてもなかなかできない、下手をすれば隠せないだけでなく
妙な屁理屈をつけて出してしまって余計な非難を浴びる羽目になったりもする。

まあ足許見えてないと危なっかしいよ、というトコロを改めて思い返そうよな。

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2013.05.04

屋根より高いトコロからは何が見える

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ただまあ自分のコトに触れられたがらない性質ってのはあるかもしれない。
でもそういう感覚は誰にでも多かれ少なかれ根強く持っているものだろう。
残念ながら自分自身について考えるのに費やす時間は自分自身が最も多い、
だからどうしても他人からの意見が的外れのように聞こえてしまいがちだ。

ここ数年の動向でいえば「専門家なんて信じられない」と強硬に主張する
“素人”がソーシャル()で幅を利かせマスメディアや実際の政治にまでも
影響を及ぼすようになってきているように思えるが、でも“素人”たちが
専門家と比べてどれだけの時間、その対象について考えているのだろうか。

その道何十年の専門家にしてみれば、「もう何度も考えたが実質的に無理」
と考えているようなのを素人がドヤ顔で押しつけてくれば聞くに堪えまい。
ところが善意で提案したつもりが聞き入れてもらえなかった素人としては、
「専門家は傲慢、いや国家の陰謀に荷担してるのか」などと考えてしまう。

当人と周囲の助言者の関係の中にも似たような状況があり、ただ専門家は
専門家どうしの議論で思考するのに対し、当事者はそうとも限らないだけ。
そういう点で言えば、“当事者”については専門家よりも周囲の声などに
もっと耳を傾けた方が良さそうなものだが、むしろ実態は逆な気がするな。

ハナシが逸れたが、いずれにせよ視点の違いというのは誰が誰に対しても
言葉を掛ける/受ける際に意識しておいた方が望ましい、とは思っている。
同じ対象を見ていても違った見え方のはずなのだ。相手からどう見えるか
少しくらいは想像して、その上で役立つかどうか考慮して判断したいもの。

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2013.05.03

木に花を継いだようなハナシ

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いろいろと先送りしがちな(気長な!)性格であるにも関わらず、人生の
多くの場面で思考を放棄せずに済んできたような気がするのだけれども、
それはきっと自信のなさから来ているのだろうなと、思ったりしている。

先日のドライブのとき、いつものように車中で母と取り留めもない話を
していて、母方の祖母と父方の祖母の性格についての話題に行き着いた。
今や故人のこの両者、どちらの性質も孫世代には受け継がれているのだ。

一方の祖母は「気にしない」性質で、他方の祖母の「良く言えば繊細な」
性質と、まさに対照的というトコロ。その相容れないような性質の両方、
これが、あるときは一方が、あるときは他方が、前面に出てくる感じだ。

おかげでモノゴトに対する反応が時と場合により違ってしまったりして、
どちらかに偏っていた方が生きやすくはあるんじゃないかと思うんだが、
両方の性質を持ち合わせているからこそ、おかげで一部の友人の悩みに
共感しつつ、かつ引き込まれずにいられるのではないかという気がする。

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2013.05.02

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(114) 生らぬトコロにも生るコトがある

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「一つひとつでも明確化していかないと先へ進めない」いやごもっとも。
たぶん自分には、そういう常識があまり身に付いていないのだと思うよ。

しかし同時に、その常識ってのは何なんだろうと思わずにはいられない。
割と「モノを知らない」んじゃないかという自信のなさが、常にあって。

そもそも実家では家族の中で最年少だったのでモノを知らなかったのだ。
突飛なコトをして周囲から笑われるような経験が割と印象に残っている。

それが嬉しくないからこそ謙虚に生きるように心掛けているのだと思う。
もちろん、謙虚に生きていられているかどうかは、やっぱり自信がない。

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2013.05.01

曖昧もこもこしたトコロ

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曖昧にしたままでは気が済まないっていう感覚も分からんではない。
たとえば仕事と休みを曖昧にしておいてはカレンダー上の連休など
あっという間に過ぎてしまい何も進んでなかった、となりかねない。

ただ逆に、明確化しようとするあまり時間やコストを過剰に浪費し
疲弊してしまうようなケースが存在するのも事実であり、そういう
のを引き摺るとロクなコトがないので割と早めに割り切るのが良い。

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