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2013/05/08

育児・教育という聖域?

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そんなワケで、育児などに少し興味を持ってソーシャル()方面を見渡すと、
他人の子育てに口出ししたがる人は想像以上に多いらしいと気付いて驚く。

「それは親の責任!」「親なんだから気をつけて!」「それでも親なの?」
等々、少しでも「あるべき姿」から外れていると判定された親は総攻撃を
受けたりしており、まるで魔女裁判か何かのように思えてしまう異様さだ。

もちろん、子供に対する姿勢というのは程度問題で、どのあたりから虐待
だといった線引きは非常に難しいものだし、ましてやソーシャル()上での
断片的な発言の、さらに一部の言葉尻のみを捉えて即断できるようなもの
であるとは到底思えない。なのに平然と「親の資格云々」などと非難する。

もとより他人に対し上から目線で文句をつけるのが容易なソーシャル()だ
とはいうものの、こと育児や教育というトコロになると特に原理主義的な
意見が幅を利かすというか寛容さの欠片も見られなくなるので奇妙なもの。

何というかこう、子供という存在を過剰に大切にするあまり、その子供の
親の尊厳など軽んじて構わないというコトなのか、など思ってしまったり。

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どこかに「人の親として踏み外してはならない道」が明瞭に存在していて、
そこから何かミスをしたり違ったコトをするたびに減点されたりするのか。
たしかに親は子供たちにとって大きな存在であるのは間違いないんだけど、
全てが親の責任であるかのように扱われ、押しつけられるのは変だと思う。

今の日本の、特に都市部の育児環境では、子供に何かあれば全て親の責任、
という風にされがちであり、あたかもそれが当然のように見なされている。
ああだこうだと外部から口出しする割には何かあれば「保護者の責任」と
押しつけてしまうのが近年の日本社会のような気がするのだけれども如何。

子を持つ親は、もっと周囲の人たちに頼れれば身も心も楽になれるだろう、
逆に周囲の人たちも子を持つ親から頼られるような存在が望ましいだろう、
まさか期待したような頼られ方でないから拒絶したりしているのだろうか、
「かくあるべし」の押しつけになっていたりしないだろうか、とも思うが。

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