« 思考の志向・並ぶ木を見て森を思う | トップページ | あたらしいしごと? »

2013/05/17

思考の志向・こくご(論理的でない)

20130517_201304021606001


ソーシャル方面では論理的な著述を訓練する機会が乏しいとの話題も。
たしかに国語の授業では基礎となる文字や文法の学習から一足飛びに
文学作品の情緒的な解釈ばかりさせられていたような印象が残ってる。

いわゆる修辞法の教育など日本の科目から失われているのではないか。
その背景となる論理学、さらにそのエッセンスを含む数学については
初等教育には出てこないし、「公式を暗記する科目」だと捉える人も。

そういうのが、いきなり大学でレポートを“書かされる”ようになり、
「文学の読解が苦手で理系に」という人が苦手な文章を書かされたり、
「論理的思考が苦手で文系に」という人が苦手な論述をさせられたり。

複雑に区分された学習体系の狭間に転げ落ちているのかもしれないな。

--
「考える力」なる漠然とした言い方には、たとえば論理の構築だとか
問題の切り分けとか、そういうのが多分に含まれていると思うのだが、
一方その中には感情を深掘りするような要素がほとんど入ってこない、
というか論理は感情から完全に分離されてるコト前提のような扱いで、
切り離された感情の扱いについては国語あたりに任せっきりの印象だ。
(さらに言えば道徳や美術のような分野でこそ扱うものとなってる?)

だけど、どっちも不可欠だし現実のセカイで生じる議論のほとんどは
両方の観点・能力を兼ね備えていないと先に進めないのではないかな。
理想論だけに頼っても空回りするばかりだし現実論だけでは冷酷すぎ、
その間の何処かに落とし処があるのが実際の社会だと思うのだけどな。

まあそんな偉そうなコトを言いつつ論理学だの修辞学だのを本格的に
学んだ経験はなくて、ほぼ自分の経験にばかり基づいた思考や理解を、
聞きかじった学問体系で継ぎ合わせたようなものでしかないのだけど、
それでさえ「持たぬよりマシ」と思えてしまうのだから困ったもんだ。

|

« 思考の志向・並ぶ木を見て森を思う | トップページ | あたらしいしごと? »