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2013/06/29

じっくり時間をかけて幅広く

20130629_


マスコミは嘘吐きだから見るな聞くな信じるな、とか声高に
主張する人もヨノナカたまにいる。ソーシャル()とかに多く、
身近に集まった意気の合う人たちからのみ情報を摂取してる。

でも実は多くの場合、聞きたくないような情報が流れてきて、
嫌になったトコロへ何処かから見ない聞かないで済む理由を
拾ったり作り出したりして利用してるだけだったりするよね。

だいたいマスコミの中でも、読者視聴者が一瞥しただけでも
何となく中身が伝わりそうだなというキャッチをつけただけ、
ってのがほとんどのように思うんだけど、それをあげつらい
「○○の犬」だとか偏った思想を持つ集団であるかのように
言われてしまうのは、おそらく双方にとって不幸な行き違い。

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情報源の多様性は判断の偏りを小さくするために重要なコト。

まあ中には腹が立つような書き方や言い方もあったりするが、
媒体というヤツは感情に訴えて読者視聴者の共感を得ようと
しがちなもの。滑った冗談でも見るような目で見守るといい。

たとえば先日の某国の新聞論説記事に非難が集中したらしく
「個人の見解です」など注釈ついたらしいけど、どの国でも
新聞のコラムや論説は個人が垂れ流す文章なのだなと再認識。

しかしそれでも集団で情報を収集して整理してアウトプット
する体制を通じて出てきているはずの記事に関して言うなら、
個人の口づての噂話よりは、まだ情報の質としてマシなもの。

多様な人たちが関わるコトで、情報の品質はマシになるのだ。
さらには多様な媒体から情報を得るコトで、よりマシになる。
基本的に体制内の空気というのは組織ごとに違うものだから。

情報源を固定してしまうと次第に視野が狭まってしまうもの。
同じ種類の媒体でも複数、できるだけ違った種類の媒体にも
積極的に目を通すことで、その偏りを減らそうというワケだ。

時間スケールとか粒度とかの偏りも同じように減らせるはず。
時間でいうなら垂れ流しの生放送とかドキュメンタリーから、
長期間の経緯を圧縮した歴史書とか解説書まで、いろいろで。

いずれにせよ一方にのみ利用価値があるというワケではなく、
また両極端さえ押さえておけば問題ないというのでもなくて、
ある程度の幅を持った領域を見渡す視点が重要なのだと思う。

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