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2013/07/24

嫌も応もなく同じヨノナカにいる

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義憤などを原動力として突き進む連中が増えたように感じられる
背景には、まあそれなりに平和で、そこそこ経済的にも安定した
社会が続いていて、まあ平和ボケのようなのがあるのではないか。

社会が成熟した上に政治資金への規制は厳しくなるばかりだから
金銭欲が政治へのモチベーションになる可能性は極めて低下した。
名誉欲によるものも、社会構成の多様化で相対的に比率が下がる。

そして前向きに(何かに反対したり否定するばかりでなく)社会を
変えていこうというモチベーションも、まあ昔より暮らしやすく
なっている社会の中からは生じにくくなってきて当然というもの。

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怒りに任せて何かを否定するなどして変革を求める人の方が多い、
そういったヨノナカに、どうしてもなりがちなのが成熟した社会。
だから急進的な変化へと社会全体が引っ張られていかないように、
強い怒りを持たない人々こそ意識して動くべきなのかもしれない。

けどそこは成熟した社会の宿命か、「自分がやらなくても何とか」
みたいな楽観に陥る人が大半で、結局そういう方向にならなくて。
どうやったら、社会を前向きに変えようとするモチベーションを
主流の座につけるコトができるのだろうか、と思い悩んでしまう。

義憤の御輿が暴走して社会にダメージを与えては次の御輿が出て、
社会が何人もの英雄を持ち上げては使い捨てて、それに飽きたら、
いや損害が酷くて楽観できなくなってきたら、実直に仕事をする
ような人たちが前向きなモチベーションで政治に取り組むのかも。

ひょっとしたら御輿を担いで暴走している連中というのは、その
下地を、失敗を重ねるコトで(おそらく無自覚に)作っているのか?

人それぞれ思わぬ役割を果たしたりするもんだが、それもアリか。

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