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2013.08.23

科学系ヨタ話(21.5) 一方通行の良心ダイオード

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そういう呪文を唱えている人たちに対し見知らぬ他人が教え諭そう
としたところで、どちらかというと敵味方の識別を優先して情報の
識別をしている傾向の強い人が固まってしまっているような雰囲気
だもんだから、現実的に無理難題なんだい。ただいろいろ目につく
ので、呆れたりツッコミ入れたりしながら受け流すようにしている。

しかし本当にそうするだけでいいんだろうか、とは常に疑っている。
一昨日の話題で言えば、指揮者ってのは自分を疑うくらいでないと
周辺同調者との相互依存に陥りかねないし、それらから距離を置く
立場であっても指揮者&同調者の渦に巻き込まれてしまいかねない。
自分自身に思い込みや思考の手抜きがないかどうかは重要点検項目。

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旧ソビエトで指導者との相互依存関係のような状態に陥った科学者
ルイセンコを批判しつつ、その所業になぞらえて体制側()に有利な
情報を発信する科学者を糾弾する如き発言も、今の日本でみられる。
科学者が体制側につくのを強く警戒するあまり、カウンターとして
の反体制側バイアスらしいのだが、それは違うんじゃないかと思う。

いやまあ聞きかじっただけなので微妙に勘違いしてるかもしれんが、
ルイセンコ事件を「権力側に役立つような科学者は危険だ」という
教訓として捉えるなら、そういう考えも成り立つとは思うんだけど、
それとは別の問題で(むしろ権力云々以前に)「イデオロギーと結び
ついては科学にならない」といった教訓が読み取れると思うのだな。

意図はなくとも結果的に権力側が使いやすい形で提供してしまった、
みたいなトコロまで徹底して避けようとすれば、それは既に反権力
という思想に染まっているワケで。自分がバイアスかかってるから、
誰のコトを見ても逆方向のバイアスがかかった存在に思えてしまう
のかもしれないよ。いやまあたぶん、そういう人なんだと思うけど。

分かるような気はしつつも、やはり違和感を覚えずにはいられない。
むしろ科学って政治に対して無関心であった方が健全だと思うのだ。
まあその考え方そのものがイデオロギーだと言われればそれまでか。
「科学は政治から自由であるべき」という考え方こそが「政治的に
正しい科学のあり方」とされるのが現代社会だぞ、みたいな感じで。

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