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2013/08/24

「その“現実”にはフィクションが紛れ込んでいます」

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奇形ネタって話題性があるからニュースにも取り上げられやすいし、
フィクションなんかでもしつこく登場してくる。もう飽きるくらい。
たいがい「キモチワルイ」「コワイ」を楽しむためのコンテンツで。

だからこういうテーマだと地味な現実の姿など隠されてしまいがち。

だから現実を語る上では、虚構と混同してしまわぬよう留意せねば。
語る中にツッコミどころが紛れるだけでも「アイツの言うコトだし」
と、真面目に聞いてもらえなくなったりするのが残念ながら世の理。

そしてこういう問題は、表面的な事象についてのみのコトではない。

たとえばフィクションでは登場人物の心理が劇的に変わったりする
ような描写が結構ありがちだけど、それ現実あんまりないからこそ
フィクションの作者が演出のために使うものだよね、って思ったり。

虚構と現実の区別って、そういうトコロでも大事だという気がする。

また、少なからぬ作品で(特に敵味方が明瞭な娯楽作品などに多い)
何の良心の呵責や迷いも持たず悪事を働いたりしてるような人物や
組織が描かれるけど、こういうトコロも非現実的な印象を拭えない。

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そういえばソーシャル()な方面では、よくルイセンコの話題をする
人はオーウェルの「1984」も話題にするコトが多いような気がした。
フィクション作品というのは、現実の特異例との相性は良いのかも。

だからといって今現在進行中の事象が特異例である確率は低いのよ。

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