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2013/08/27

的を外している可能性はゼロではないけど遠からじ

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あと大事なコトは、それを他者に向けて使うより他山の石にするコト、
自分の改善に役立てるのに使うようにするってコトではないかと思う。
もちろん読み違いも少なくないけど、修正を加えながら精度を高めて
いけば、もっと深く理解でき、自ずから目標も変わってくるかと思う。

他者の裏を読んでいけば、対象自身が自覚できていない感情も見える
けど、それを他者への攻撃や他者を陥れる目的で使うのは卑怯な行為。
“「なんとなく気に入らない」ということの上手な言い方選手権大会”
とか評している人がいたが、少なくともそれに参加するのは避けたい。

気に入らない表明大会に参加していると、より深く読むコトに対する
追究が疎かになり、他者への浅い理解のまま推移していきがちなもの。
人物読解力の上では大した違いがないように見えるかもしれないけど、
自覚なく参加してしまっている大会から脱出できるかどうかは重要だ。

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そういえば、他者を見るとき「利害関係者」で評価する人も結構いる。

社会というのは利害の連鎖によって成り立っている部分がかなりあり、
そこに微妙に名誉欲というか承認欲求のようなのが混ざり込んでいる。
その意味では、利害関係の有無を問題に対する姿勢の評価に盛り込む
のも、あながち間違いではないかに見えるが、それだけでもなかろう。
知見を集積し分析して課題解決に役立てたい、といったのもあるはず。

例の「大会」はソーシャル()のそこかしこで見られるが、その参加者
の動機を推察してみると、たとえば怨嗟だとか羨望だとか、やっかみ
とか妬み嫉み僻みとか、そういった負の感情に由来する動機も多そう。
あとミウチにおけるエクストリームな競争、という側面もありそうだ。
(「アイツにこれだけ言ってやったぜオレサマ偉い」的な感覚である)

実は「善意を装った利益供与」のようなのを強く警戒する多くの人が、
(誤解や理解不足による誤った善意の発露らしきケースも少数あるが)
「利害関係がない自分の方が参加資格は上だ」といった感じの意識を
(ほとんどが特段の自覚症状なしに)強く抱いているように見えるのだ。
でもそういうのも、つきつめれば承認欲求に繋がるものではないかな。

そういうのが自分の中に若干でも存在せぬか否か、自身をも読むべき。

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