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2013/08/17

振れ幅の大なるを憂う

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“ポツダム宣言受諾の日”があるせいか日本の一時代の
画期として扱われるコトが多いのが、ちょうど盆の頃で。
まあ日頃は葬り去られたような扱いとなっている“戦後
より前の近代日本”を思い返すのに、しばしば使われる。

その思い返すのには当時の公的私的さまざまな資料とか
戦後に書かれた回顧録や聞き取りルポなどが主な素材と
なるワケだが、一時期それらをいろいろ読み漁ってきて、
当時の立場によって描かれ方が随分と違うものだと実感。

一兵卒の話も軍中枢人物の話も立場としては興味深いし、
政治家とか文筆家といった立場にも独特の視点があるし、
一市民の回顧にも価値はあると思うが、特に組織の中で
中間管理職的なポジションだった人のが個人的には合う。

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多くは年若いものの士官学校や大学に学んで教養があり
(今の大学生とは比較にならぬほどのエリートでもある)、
しばしば相当数の部下を抱えて責任を持つ立場でもあり、
受けた命令や情報に沿って判断・活動する必要があった。

ミクロとマクロの両方の視点を備えるが、全体を動かす
力はなく、自らの(限定的な)権限の範囲で最良の結果を
出し続けねばならない責任・重圧との内面的葛藤もあり、
常に考えさせられ続けていた、それゆえ深い考察も多い。

明快な解などなく時と場合と立場により食い違う問題を、
その場面ごとに逐次決断し実施して結果を問われてきた、
もちろん中には過誤も少なからずあり、後になって知る
コトも含めて自省や教訓を伝えたいのだろうと察せらる。

日本には、そういう中堅層が相当数いると思うのだけど、
いやむしろ多すぎて目立たず埋もれてしまっているのか、
どちらかというと注目が集まるトコロはトップか最下層、
要するに悪人レッテルを貼れる相手か悲劇の主役ばかり。

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