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2013.09.15

切っても切れない関係だから割り切るのが難しいのか

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でもまあホントそういう割り切った発想は難しいよな。
だいたいにしてソレはヒトの本能のようなのに反する。

そもそも少数派に陥った時点で、多数派への接近さえ
「抜け忍狩り」的な攻撃をグループ内で受けて命懸け。
まあ四面楚歌の状況となればミウチの結束を高めたく
なる心情は分からなくもないんだけどそれが敵を増し
味方を減らすときてるんだから、ホント困ったもんだ。

だいたいにして今までの敵対心を捨てて相手方に寄る
なんてトコロからして大きな覚悟が要るというのにね。
それこそその争点以外のトコロで別の集団の中の人と
個人的な繋がりを持ってたりしなけりゃ踏み出せまい。
(「自主避難者の出戻り問題」みたいなのもそこかな)

逆に多数派となった側の人からしても、過激化先鋭化
しつつある急進的少数派の中の人をどう扱えばいいか。
どうしても面と向かっては腫れ物を触るような微妙な
態度になってしまいがち。これもまた乗り越えないと
多数派の側にしても少数派の提案を受けるのが難しい。

結局それじゃぁ少数派になったら多数派の圧力に屈し
恨みを飲んで潰されていくだけで、それでいいのかと。

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井戸端会議や床屋談義の延長線上みたいな位置付けの
ソーシャル()では、そんな感情的な対立で紛糾してる
現場など数え切れないほどあってたまに触れる機会も
少なくないが、直面する問題に対して現実的な提案で
ない意見ばかり並んでるのを見ると、さすがに価値を
感じられず、両者に対して辟易してしまうコトがある。
現実の問題から遠く乖離した、感情的対立でしかない。

まあそういう現実問題にばかり注目してしまう性格も、
感情のまま抗争を繰り広げている人たちにしてみれば、
またそれはそれで弊害はあるようで、「感情を蔑ろに
するつもりか!」みたいな反発を受けるコトも、ある。
というか基本的に賛同は得られない。そういうもんだ。

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