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2013.09.02

天才は我を忘れてやっている

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天才という言葉は、良くも悪くも前例とか周囲の動きに流されず自分勝手に
思いついて、それを実行して結果まで到達できる人を指す表現なのだと思う。

我が身を振り返ってみれば、天才でも秀才でもなく単に「多彩な抽斗を持つ」
というだけのような気がする。この抽斗の中身を、昔は読書で蓄えてきたし
最近ではソーシャル()などでヒトの動きを観察して得ているコトが多いかな。
蓄積した知識が繋がってネットワークを構成して世界が開けていってそれが
知恵に繋がる、この知恵を以て観察結果をさらに分析して深めていくような。

それっぽい性質は昔から自覚があって、たとえば単なる文句だとか表面的な
批判など、どうせ誰か(≒多数)が言うだろうし聞き飽きてるし自分で言う気
にもならないので、そんなの放っといてより深い考察を、という感じだった。
だからか、観察や分析などについては意識して伸ばそうとしてきた面もある。
まあやはりメインストリームでなくニッチの方が性に合う、というワケだな。

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ヨノナカには若さゆえの分別の不足でやらかしてしまう人がいる一方、年齢
を重ねるにつれ色々なコトを諦めてしまったような感じでやらかす人もいて、
特に恥とか外聞とか周囲の迷惑といったのを気にするのを諦めたりするのが
しばしば悪目立ちしてるが、たぶん自身そうなりたくないのだと自分で思う。

なのでできるだけ他山の石にして前車の轍を踏まぬよう心掛けているつもり。
おそらくそういうトコロが天才ってのと、ある意味で大きく違う部分だろう。

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