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2013.10.11

半生紀(38.5) 行けるトコロまでは行こうとしていた

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考えてみれば高卒で働いていた可能性もあり、それはそれで
職人みたいになって人生に満足してたと思う。けどなかった。

今の日本の社会では社会に出てから大学へというのが難しい、
できれば行っときたいから行けるウチに、と考えて進学した。
もし可能性があるなら研究職になれたら楽しそうだな、とも。

ただ親との約束で、浪人だけは避けるコトになっていたから、
できるだけ多くの受験をして、引っ掛かればよし、と決めた。

当然、一つも合格できなかったら就職、というコトであった。
けど、塾や予備校に行かなかったどころか受験勉強もロクに
しなかった(参考書一冊だけ)くせに、妙なほど自信はあった。

高校での成績はムラもあったが総じて「上の下」くらいだし、
どこかしら引っ掛かってくれるだろうと思っていたら案の定。

まあそんな程度の考えでフラフラしていた報いなのか、大学
から先へは進むほどにはならず、学部卒で終わったワケだが。
もしそこで何らかの熱意があったら先へ進んでたかもしれん。

「こっちが駄目ならあっちへ行くだけさ」という感覚で人生
やってきてる気がする。散歩のときの歩き方と全く変わらぬ。

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国公立大では二次試験のペーパーテストをなくす方向で検討、
というニュースについてソーシャル()で語られている様子を
見ていて思ったのだが、ペーパーテストだって意義があって、
「難しい専門書を熟読して熟考して身につけられるかどうか」
といった素質を、ある程度は測定できるのが試験ではないか。

多分、自分が全く勉強せずとも合格できた大学があったのは、
分厚くて専門性の高い本を、好奇心で読み漁っていたおかげ。
そういう趣味的な姿勢でもそこそこの道へ進めるワケだけど、
限られた年限の中で突き詰めるには何かを乗り越えなければ
ならなかった(その程度の能力であった)のだろうと思ってる。

行きたいトコロに行くためには相応の鍛錬も必要ってコトか。

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