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2013.10.18

経験の使い方

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代わってやるコトも、代わりにやるコトもできない、ただ
ひたすらに自分自身のもので、人生の一部として存在する
のが苦労だとか努力といった経験だ、という事実は重要で、
そういった経験を、似たような境遇(だと思われる)他者に
適用しようとする際には、よくよく考えて行わねばならん、
そのまま単純に適用するなどは愚考としか言いようがない。

経験から何を得られるかというコトでさえ、その時点での
当人が持つ知識や教養、境遇、過去の経験など様々な条件
によって大きく左右されるのは、「あの経験とこの経験が
結びついたからこそ今がある」的な認識があれば分かろう、
ましてや同じように見える経験だって実は違ってたりする、
経験をする主体も全くの別人であり時代背景も異なるもの。

結局、まずは他人のコトなど放っといて自分自身のために
経験を活用し、そこから展開するのが、実は近道なのでは。
世間だの他人だのに目を向けるのではなくて、自分自身の
内側に目を向ける姿勢こそ「前向き」ってコトかもしれん。

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まあ例えば貧乏生活など経験すれば苦しさを実体験として
否応なく理解するワケで、それをカネの余裕ができたとき
にも思い出して他者への配慮にするなど、そこそこ直接な
形で何かしらの役に立ったりするコトはある、とも思える。

逆もまた然り、というか経験した者としての経験と、経験
していない者としての経験の両方を活かして、理解を促す
ような使い方も可能。例えば多重下請けの末端から発注元
の人間に対し配慮を求めるような場合などにもきっと有効。

まあほら、苦労や努力が報われるとは限らないって思うと
何か損した気になってしまい気が気でなくなる人もいたり
するけど、そんなとき「他人は他人なりの苦労をしている」
だとか「苦労していない分だけ世間を知らない」みたいな
考え方をするのも見苦しい姿、そんな他人なんか放っとけ。

ただ経験を咀嚼し消化して身に付けた実感のみ自信となる。

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