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2013.10.31

奥行きの様子を時系列で示したりする

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「事実は小説よりも奇なり」とは言う、まあモノガタリを読むような感覚で現実問題を
読もうとしたら単純化しすぎて多数の誤解に埋もれる可能性が高いのは事実だと思うが。

現実問題というのは話題として取り上げるには大きすぎるから、どうしても一部だけを
切り出さないと語りきれない、そこでテーマとか切り口とか視点といったのが出てくる。
そのテーマというのも、こうやって毎日のように書いている場合には回ごとのテーマの
関連性や連続性といったあたりが、より大枠の(あるいは上位層の)テーマとなってくる。

もちろん切り出した一部分の現実問題というのはどうしても偏ったものとなってしまう。
偏りの補正のためにも連続的にテーマを変えながら話を進めるような手法もあるワケで。

また当然のコトだが文章には書き手の考え方が反映される、しかも自覚していない部分
まで出てきてしまうコトが多い、そしてもちろん、書き手の脳内にないコトは書けない。
そういう意味では、多数のテーマをストックしておく、あるいは常に漁っていて充分に
続けられそうな見込がある、といった環境が用意されなければ書き続けるコトは難しい。

情報の流れの中に身を置いて、その流れを取り入れて排出したものが書いている結果だ。
何も得るコトができていないのにアウトプットをし続けられる人間なんて、普通いない。

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このブログは続くと確信してやっている。日記を書いたり写真を撮り歩いてきた過去の
経験から、どの程度まで書き流せば(質を下げれば)続けられるか、というのも考慮した。

何日か連続したテーマを書いたらまた別のテーマに移る、というサイクルも設けている。
ほとぼりが冷めたら、あるいは新たな見解を得たらまた以前やったテーマを書くコトも。

だから内容についての縛りはほとんど設けていない。制約が大きいほど詰むのが早まる。
逆にある程度以上のリソースがあれば、連作障害を回避しつつ持続的な収穫を得られる。

現実問題というのは膨大な情報量を持つからこそ、その片隅を使わせてもらうだけでも
それなりのアウトプットを続けられるのではないか、だからこそ飽きずにいられるのだ。

とはいえこういうコトを続けていけば食えるとは限らないのが目下のトコロ最大の課題。

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