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2013.11.15

正義の面の皮ってのは鉄壁の防御

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「何かを守れ」みたいな動きというのは、すぐ悪を叩く
コトにばかり夢中になって弱者救済に繋がらぬばかりか
むしろありがた迷惑な方へと向かっていってしまいがち。
特に厄介なのは支援者とかいう連中だったりするものだ。
勝手に期待して勝手に方向まで決めようとするのだから。

社会問題を喧伝しようとする人たちによく見られるけど、
「この問題は隠蔽されているから誰も知らない、だから
炎上させてでも、結果的に炎上してしまっても構わない
からとにかく騒いで人々に知らしめよう」みたいな感じ、
これも「知れば悪を叩くに違いない」との期待ありきで。

だから期待したような反応が得られないと、妙にキレる。

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キレてもいい? それくらい必要悪だと? 執拗な悪だよ。

むしろ正義を掲げる連中の方が、執拗で、残忍で冷酷で、
容赦しないものだ。まあそんな連中が悪と決めつけ糾弾
しようとしている相手は、もっと凶悪であるのだそうだ。
まあ彼らのイメージの中だけのコトなので流行らないが。

もはやそういう妄想まで展開するようになってしまえば、
逆に彼らを悪人ないし迷惑な存在と認知する人も増える。
そりゃそうだ、騒ぐだけ騒いで何の成果も出してないし。
要するに正義ってのは相対的なものでしかないワケでね。

そういうのに辟易してるから正義を為そうなんて思わぬ。
また悪とか迷惑なのを叩く気にもならぬ、どうせ無駄だ、
しかも自分自身が別の人たちに迷惑かけてしまうだけで。
だから期待もせず淡々と目立たぬ行為を探すようにする。

善行でござい、とも思わないようにしたい。それだけだ。

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