« 戦いとは地味なもの | トップページ | 一人で背負い過ぎたって戦えやしない »

2013/12/28

たまには時事ネタ(97) で誰が戦うの

20131228_dscf8786_1s


人間が死ねば神仏となったり現世とは異なった世界に行き尊崇の対象
になるという考え方の、それ自体はおそらくヒトが有史以前から持つ
かなり原始的な宗教意識に根差すものであり、多くの宗教体系の中に
取り入れられ多くの社会で様々な慣習として祭祀が執り行われている。
そこだけ切り出してみれば、どうみても宗教的感覚というコトになる。

ところが、祀られる対象となるのは必ずしも善人ばかりとは限らない。
まあ人間だから当然、そういうのも時を経れば名誉回復も為されよう、
ところが新鮮な死人というのは政治的な意味合いも強く持ってしまう。
そこで、「ある人にとっては宗教的尊崇の対象だが、ある人にとって
政治的憎悪の対象」みたいな感じに異なる認識が成立する場合もある。

政教分離なんて言っても、そこ厳密に切り分けるコトは無理だろうよ。
社会という枠の中に双方が混在している以上、相手を存在しないもの
だとか異世界の存在のように思うコトにして切り捨てるなんてできぬ。

権力に対する批判、それ自体は悪くない、むしろ好ましい行為だろう。
けど権力が根差すのは国民の支持、自分とは異なる意見を持つ人たち
が少なからず(しばしば多数)含まれる、というのを忘れてはなるまい。

--
何かの社会問題に接して危惧するのは個人の自由というか勝手だけど、
その危惧の吐露は正義のフリをしてるのか、それとも不遇なる自らの
身の上や不安を拭えぬ自らのキモチを慰める材料か何かにしてるのか、
多分に混じってそうな意見がソーシャル()界隈には目立つような印象。
ヨノナカにある自分の気に食わぬコト全ての責任を誰かに押しつけて
溜飲を下げる行為には人により強い依存性があるので推奨はできない。

あと「こういう人が怒ってるからやめろ」みたいなのも好きになれぬ。
自分の中から発せられる怒りは自分のものとして扱ってほしいトコロ。
これもまた他人の発言に表現の責任を委ねているようにも思えるから。

他人から借りた表現ばかりの人には「でアンタは?」と聞きたくなる。
その表現を借りるコトによって他人を戦わせているのは、誰ですかと。

|

« 戦いとは地味なもの | トップページ | 一人で背負い過ぎたって戦えやしない »