« 消極的選択の例とは | トップページ | 通れるトコロを通る »

2014/01/18

消極的選択の応用編

20140118_dscf8647_1s


反対運動のようなのが頻繁に発生し、根強く残りやすいという現象も
やはり消極的選択の作用として捉えられるように思うので考察しよう。

世間でよく見掛ける反対運動は、その反対する対象の活動を停滞させ、
ひいては対象の時間や労力、コストを浪費させるといった効果がある。
さらには、その結果に(反対運動による影響も含まれるにも関わらず)
「ほれみろコストパフォーマンス悪い」と文句をつけるオプションも。

ただ、その過程で浪費される諸事、対象だけのものではないんだよな。
社会資本の浪費とは社会全体で支払わざるを得ない構造になっている。
つまり社会が損失を被れば、全員が損をする。これは逃れようがない。
賛成している人たちはもちろん反対者や賛成でも反対でもない人まで。

賛成でも反対でもないような人たちが冷静に全体像を観察してみれば、
「浪費の原因は反対派」「アイツが我儘を言うからオレらが損をする」
といった具合に判断を下す可能性は充分に高い、と言わざるを得ない。
反対運動は結果的に世間の大勢を反対派の敵に回しかねないのである。

で実際、多くの反対運動の類が、そういった経緯を辿って衰えていき
ごく少数のみが残って効果の薄い活動を細々と続けていたりする有様。

--
挫折の見通しが高い手段を安易に選んでしまう人が多いという実態は、
ヒトにそういう心理があるせいなのだろうなと思わずにはいられない。

いやもちろんいつどこで何を主張しようが個人の自由ではあるのだが、
ただそれを煙たがる/敬遠する/反発する/受け容れない、といった
自由もまた、他の個人の上に厳としてある、というだけのコトだろう。

ところが反対運動というヤツは最初に拒絶ありきで始まってるせいか
その対象のみならず参加者も含む他者の自由を制限する方向へ進んで
しまいがち、そういう消極的選択を繰り返す傾向が非常に強いのだな、
そして人々の心理は消極的選択により次第に離れていってしまう、と。

|

« 消極的選択の例とは | トップページ | 通れるトコロを通る »