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2014/02/02

忘却される失敗体験

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「問題作のドラマ」「一部の人の思想に反する食材」に集中する非難、
あるいは逆に「大発見をした若い女性科学者」を食い荒らすマスコミ、
そういったのが実際に対象の業務に大きな損害を与える事案が相次ぐ。

国の大事に庶民が関与できぬまま会議で決められてしまうワケでなく、
実はヒトビトの間に漂うアトモスフィアに動かされてるのではないか、
というのが直近10年ほどの日本の政治の迷走ぶりを見ていて思うコト。

そういった状況は、実は他の国に於いても大差ないような気もするし、
むしろ2000年も昔の地中海国家の記録を見ても似たような印象を持つ
ほどなのでヒトが社会を構成する以上、普遍的な様相なのかもしれん。

ただ、特定の地域や時代を切り出して見ると、そんな様相を増幅する
材料が出揃い通常より大きな振幅で社会が揺れ動くコトもあるようだ。
今の日本は、全部ではないけど少しばかり多めに揃ったような感じか。

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振幅が大きくなりすぎれば、あらぬ方角へ社会が転がってしまうもの。

マツリゴトとは低きに流れるもので、ヒトビトが何からのモノゴトを
それぞれに拒絶するような状況下では、その間を迷走していくばかり。
終にボールは、誰も望んでいなかったトコロへ不意に落ち込んでいく。

こんな笑えぬ喜劇を人類は歴史上いくらでも繰り返してきたワケだし、
その反省から数々の民主的な手続を公安しては実施してきたのだけど、
しばしば「横車」「横槍」みたいなのが入って済し崩しにされていく。

済し崩しにしてしまう要因の最たるものが、固執ではないかと思うな。
誰かの「これだけは許せぬ」は別の誰かの「これだけは必要」であり、
社会全体に通用させぬよう歯止めをかけるのが社会の仕組なのだから。

そして相手は爆発四散、ついでに自身も爆発四散、殺伐ネオサイタマ。

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