« そんなコトバっかり(1) にぽんご(←なぜか書けない) | トップページ | そんなコトバっかり(3) 印象独走刷り込み地獄 »

2014/03/15

そんなコトバっかり(2) 曰本語(←普通に読めるけど)

20140315_dscf8859_1s


漢字とカタカナで似たような形の文字があって使いづらい部分もある。
ある、というよりズバリ「カ」と「力」のコトを言っているワケだが。

まあ手書きのとき明確に区別つくように意識して書き分けている人は
さすがに多くないと思うけど、印刷や画面表示の書体でも大差なくて、
読むときは文脈に依存する法則性に基づいて脳が勝手に処理している。
だから「駅ナ力」とか書いたって、殆どの人は違和感も持たないのだ。

--
「○○力」で思い出したが、こういう表現が流行った頃、ある友人が
その風潮を酷く嫌っていたっけな。「コピーライトが無能すぎる」と。
他で使ってるからウチでも使おうなんて、まあたしかに安直ではある。

ただ情報の受け手側がソレを見慣れているはずだ、との期待もあろう。
まあ明確に意識してそうしている人は多くないだろうと思うんだけど、
突飛な表現を使ったら受け手が首を傾げかねない、とは思うだろうよ。

その点、流行り物なら乗ってしまえば多くの人に通じる表記が容易で、
雑誌なら編集長、広告ならクライアントの、決裁権者にも通りやすい。
だが遠からず皆が見飽きて通らなくなる。そうしたら否応なく廃れる。
あるいは、より新しく流行りはじめた単語が取って代わるコトだろう。

見慣れる→見飽きる→新しく作る、といった一連の流れが言語を変化
させてく原動力になっているのかもしれないな。まあ素人考えだけど。

生物種の遺伝子のバラつきは、時代による差異と地域などによる差異、
どちらが大きいのか。きっと一般的に前者の方が大きいだろうと思う。
言語にも同じコトが言えそうで、同じ地域での数世代前の日本語なら、
同時代の遠く離れた地域の日本語と同程度には違ってるのではないか。

そして日本語圏の地域的な広がりは、日本語の原型からの時代の長さ
と比べてしまうと、どうみても狭すぎる。などと思いを馳せる想像カ。

|

« そんなコトバっかり(1) にぽんご(←なぜか書けない) | トップページ | そんなコトバっかり(3) 印象独走刷り込み地獄 »