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2014.03.10

ポンプにマッチんぐ

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「聴覚障害の作曲家」事件に関連して「その嘘を叩くなら東電と政府
の嘘はその数倍は叩かれないとおかしいだろ」とか言ってるのがいた。
個人的には、そこはいっそ逆に「嘘くらいで叩くな」っていう言い方
にしてしまってもいいんじゃないかな、とか思ったりしているのだが。

だいたいこんな極論なんてどっちの方向に転がすのも使う人次第だし、
その方向の軸も山ほどあって、どれを選択するかなんて恣意に過ぎぬ。
実際この手の発言の大半は「気に食わない」で言い換えできてしまう。
そして言い換えても通るならば、それ以上ほとんど意味は含まれない。

方向性は違うけど元上司で現取引先社長の男なども正論ぶった極論を
自分の都合の良い方へ使うのが得意だ。しかもそれを使う都度、全く
自分が間違えているなんて疑う様子もなく自信満々なのはどうなのか、
その「正論」に沿わないのは常に相手の落度と決めつける姿勢も如何。

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最初から疑って掛かって「何を言っても信じてもらえないんだな」と
相手に思われてしまえば、やはり同様に相手からは必死の抗弁だとか、
その場しのぎの適当な返答だとか、あるいは無言ないし無視といった
反応しか返ってこなくなるだろう。まあ疑いは当然ながら深まるのだ。

差別の拡大する様子なども基本的に同じ構図。「他人が敬遠する存在」
を押しつけられると聞いたら多くの人が警戒心反発心を抱くのも当然、
そうなれば「話せば分かる」段階ではない、疑念が先立って誰も彼も
冷静に聞かず合意も取れず、何処にだって落ち着き先は見つかるまい。

だから「安易に嘘だと判断して叩くような真似はするな」と思ってる。
そうすると何もかも嘘に思えてしまい疑念を確信に変えてしまうから。

まあ無理に信じろとは言わない、ただ疑っている自分の姿勢も疑えと。

そういう性質を持ち合わせていて改めるコトなく、かつ「嘘は嫌いだ」
などと公言して憚らぬような人は、正義の刃を闇雲に振り回した挙句、
誤った相手に傷を負わせる可能性が高い。そうなったら死に物狂いの
反発を受けるコトは確実。あとは応酬がエスカレートするだけだろう。

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