« 「つもりはないが」 | トップページ | 自称逸般塵の不通の日記(467) 還付を待ちながら »

2014/04/14

理系用語で読み解く社会(90) ヒト配置の自己組織化

20140414_epsn8438_1s


実家からの帰りの土曜夜の上り電車は、さほど乗車率は多くなかった。
休日によくある「つがい」や「群れ」の比率も少なく、多くの乗客が
単独行動で、ベンチシートの長い席を、一つおきに間隔を空けて座る。
そして列車が進むにつれ降りる客によって一つまた一つと空席ができ、
また新たな乗客が乗ってきては、同じく一つおきのポジションに座る。
何となく据わりが良いというか、落ち着く場所というのがあるのだな。

ヒトには見知らぬ個体に対し適度な距離を取ろうとする性質があって、
その距離というのは個体差が相当あるものだが、一方で最近の電車の
ベンチシートには一人分ずつの座面設定や2~3人分ずつの手摺の配置
などがあってヒトが安定して存在できるエネルギー準位は飛び飛びで、
その両方の作用が相俟って、ある程度のヒト密度の条件下においては
席一つおきのポジションが自然に選ばれるようになっているのである。

--
牛丼屋やラーメン屋のカウンターとか男性トイレの小便器の列とかも
たぶん似たような作用が働いていて、この法則性は割と普遍性が高い。

では、仮に通常より広い間隔の座席を用意したら、人々は詰めて座る
ようになったりするのかどうか。ヒトが取ろうとする対人的な距離は
個体差あるものの平均的な値とか標準的な範囲のようなのがあるはず
であり、通常の倍ほどの間隔になれば一人分ずつで座ると考えられる。

まあしかし実験するまでもあるまい。そんな間隔の広い席というのは
ちょっと上等な雰囲気の場ならあるものだし、そこを観察すれば済む。

ただ、そういう場に行く機会が、あまり多くないという観察者の問題。
あと、そういう場では客が単独というよりも「つがい」や「群れ」で
存在してるケースも少なくなかったりするだろうから、そのあたりも。

|

« 「つもりはないが」 | トップページ | 自称逸般塵の不通の日記(467) 還付を待ちながら »