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2014.05.24

時代の痕跡を辿って

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今週末は遅れの出ている作業を片付けるのに専念すべく自宅缶詰続行
となる予定なので、遊びに出たいという欲求を普段より余計に抑えて
(最近は日頃からカネがなくて出られないから余計に)いかんといかん。

そんなときは作業の合間に、行きたい場所について考えたりしている。
いつか秋葉街道を走破したいとか、あわよくば中央構造線全走破とか
地図を睨みながら企んでいるけど、そんなのは現状からみて非現実的。

で、もうちょっと現実的な話題。先日、実家から車で20分もかからぬ
場所に城址があるのを地図で知り、実際に行ってみたりしたのだった。
川越城の攻略の際に設けられたという、言うなれば仮設の砦のような。

その現地は入間川の河岸段丘上、少し突き出たような原地形を利用し
空堀と土塁を設けて本陣の守りを固めた、といった風情ではあったが、
後の時代にも開発されたりせず、ほとんど手つかず残ったものらしい。

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自然の地形を活かし、重要な箇所には効果的な構造物を置いて守りを
固めた中小規模の城砦を、互いに連携し合うように人々の交通の要路
などに沿って幾つも設けた痕跡が、ここ武州西部あたりには妙に多い。
そんな城砦を一つずつ奪ったり奪われたりした歴史が、ここにあった。

それら全てを攻囲するほどの大兵力を一斉に動かせる大勢力が登場し、
連絡を完全に遮断したり、長大な堤を築いて周囲一体を水没させたり、
大量の大砲弾を降らせるようになる頃までは、大いに役立ったのだな。
これらを攻め落とした大勢力は、もっと少数の広大な城を作ったのだ。

近世の天守閣のようなのも建築という形で作られた工芸品という観点
で考えると悪くないが人の手が離れてしまえば朽ち果ててしまうもの。
もっと前の時代、手の掛かる天守どころか櫓や石垣もあまり作られず、
主に土塁と空堀で構成された中世城砦が、実は割と好きだったりする。

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