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2014/05/27

選ぶのも人間だから

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示威行為は恣意的に行うもので、強いてやらねばならぬワケではない。

毎度のようにやってると相手も周囲も「またか」となって効果は薄い。
それでも続ければ「あっちこそ迷惑集団ではないか」と嫌われていく。
終には「アイツらが出てきてるからダメだな」とさえ思われてしまう。

「相手は政府や大企業なので幾らやっても潰れない」みたいな甘えが
あるのではないか、その前提で単純に怒りの遣り場を欲しているだけ
に過ぎず本当に解決を目指しているのではない、とさえ個人的に思う。

随意に制御できないけど何らかの重大な判断を下すような存在に対し、
自分の気に食わない動きが生じたら「死んだ」とか言って取り合わず、
気に入るような動きだったら「生きていた」なんて、我儘も甚だしい。

そんなのばかりで、気に入る結果だけ集めた世界ができたらいいね()。

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ただ、それは自然の成り行きに沿った現状を見ているだけかもしれん。

立場や意見が根本的に異なる相手に対し交渉を持ち掛けて結果を得る
となれば相当の才覚や技量が求められ、それができるなら最初っから
怒りを抱く側にいないのかもしれん、そしてもしそんな人物が怒りを
発する側の仲間にいるなら何か別の目的があったりする可能性もある。

たとえば名誉欲か何かに基づいて怒れる民衆に崇め奉られたい、とか。
衆とは「より高い地位を得られるのにしない」ような英雄を欲しがち。
それなりの才覚や技量があれば清廉潔白を装うのは難しくないもので、
その点で手軽に得られる地位だし政府や大企業ほど責任は問われない。

もちろん中には本当に清廉潔白で、かつ盲信者たちを先導/扇動する
など許せない、というくらい自分にも厳しい者がヨノナカにいるとは
思うんだけど、そういう連中は自分を売り込むのも良しとしないから
名誉欲などに基づいて民衆を煽る連中には客を奪われ場を荒らされる。

だから簡易な判別方法として、「よりスキャンダラスでないほう」を、
「より脅かしてない」「より正義を語らない」「より失礼でない」を、
そして「よりユーモアのあるほう」を選ぶ、なんてのが成り立つのさ。
2011年に聞いた言葉だが、実にヨノナカの構造を突いたものだと思う。

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