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2014.05.21

選ばないという判断

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全面的に正しいワケではないが完全に間違いというコトでもない情報、
ヨノナカに流布しているのは、ほとんどがそういう性質のものである。
よく見れば大概の場合、どっちを向いても微妙な選択肢だったりして、
こういう玉石混交というか渾然一体なのが現実なのだろうなとか思う。

その中から正しい部分だけを切り出して使うコトができるかといえば、
ヒトにとって簡単なものではないようで、実際しばしば混同している。
たとえば自分の選んだ側は正しく、選ばなかった側は間違いであった
と信じようとする、そういった傾向も後の判断に大きく影響してくる。

情報を取捨選択する際、一つひとつ綿密に検証していては時間を要し
機を逃す場合もあるから、ある程度は拙速となる仕組みがヒトにある。
たとえば既存の考え方に近いのを選んだり、本人が信頼している人物
によってもたらされた情報を選んだり、といった判断基準が使われる。

つまり各人の代替判断基準には本人の持つ知識や周辺環境、社会情勢
などが大きく影響を及ぼしている。知識も周囲から取り入れるもので
あるから突き詰めると基本的に「周囲に依存して」判断してるのだな。
もちろん個体差も大きいはずだが大概ある程度の範囲というのがある。

中でも特に、同一の社会環境下にある一般的なヒト集団では、各人の
代替判断基準が極めて似通ったものとなっている例が少なからずあり、
見掛け上の自由判断が同期して多くの個体が同じ側を一斉に選んだり、
ときに大きな損害を生じさせて集団ヒステリーなどと称されたりする。

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また、こういった集団同調の際には、否定的懐疑的な態度の構成員に
対し賛同を強く求める風潮が出てくるもので、そうなれば自由意志も
何もあったものでなく、しばしば集団内での亀裂に発展したりもする。

そういうのを防ぐだけのために反対意見を唱える、という人もいるが、
その濫用は推奨しない。その人について周囲が「何もかも気に入らぬ
だけの人」と印象を固めてしまい、大事なときに取り合って貰えない。

判断には無自覚な期待感なども大きく影響するものである。賛成して
いたら賛成し続け、反対していたら反対し続ける、そんな姿勢により
自分自身の中での一貫性を保ちたくなる考えは理解できないでもない。

まあしかし即断しなくてもいい内容であれば判断を留保しておいても
別にいいのかなとも思う。自分自身が賛否が大局的に影響しない状況
なら、大勢の判断が誤っていたような場合に、役立てる可能性がある。

もちろん、「判断を下さなかった」コトにより生じる弊害だとか後悔
など後から出てきたりもするんだが、一般的にみて賛否を明確化した
場合よりもダメージは小さい、得られるベネフィットも小さいけれど。

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