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2014.06.24

分かりやすさの危険

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友達が、職場の人間関係のゴタゴタで割を食った挙句に、張本人から
「謝りたい」と迫られ顔も見たくないのに会うコトを強制された顛末、
そんなハナシを聞きながら、大それた正義でなくとも善意の押しつけ
というのは相手にとって多大な迷惑だったりするのだなあと思う次第。

「悪い人だと思われたくない」のであれば自分自身の思い込みをこそ
徹底して疑って掛かって修正を続けていくこそ正道ではないだろうか。
でもそうした地道な努力というのは大変だし身近な者たちはともかく
ロクに知らぬ間柄の者たちにまで認めてもらえる可能性は極めて低い。

承認欲求を満たすだけなら手段は他にも沢山ある、正義っぽい存在と
して認めてもらえそうなポーズには手っ取り早くできるものも多いし、
冒頭の例など上司まで巻き込んで善意を飲むよう「指導」されたとか、
要するに善意を装い周囲を動かすくらい割と簡単にできるものなのだ。

しかも他方、自分自身を偽るのが苦手だったり周囲の迷惑を意識して
しまう傾向が強いとか、あるいは精神的な負担が大きくて自己弁護を
憚ってしまうような性質の者なら、そんなとき、むしろ黙ってしまう。
もうそうなれば、一方の言い分だけしか周囲に流布されぬコトになる。

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いやまあ本人も信じ込んでいる善意とか正義のようなのは、周囲から
見ても本物っぽく見えやすいから、そうなってしまうのも致し方ない。
だから上司も、職場内で不善だ不正義だとは認定されたくないワケで、
何となく逆らえない空気があって、一方に従わされてしまうのだろう。

騙されるなと言うのも難しいハナシだし騙された方が悪いと言うのも
酷なハナシ、ただ害を伴う可能性を知り常に行動を顧みて修正しろと。
そして黙っている側の状況をこそ観察し、察し、可能なら話を聞いて、
喧しい側の言い分から虚飾を差っ引いて、判断を下していかないとな。

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