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2014.06.18

喋って放りっぱなし

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で、その久し振りの友達からの電話を聞いていて思ったのだけれども、
単に本人が言いたいコトを口から出しているだけのような人物は結構
おり、辛うじて周囲の人の理解力によってコミュニケーションが成立
しているに過ぎないのを当人まるで気付いていなかったりするのでは。

まあ周囲の理解力に支えられていると察するくらいのアタマがあれば、
そもそも相手に伝わるよう考えて説明するくらいできるとも言えるか。

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これは一昨日あたりの話題にも繋がってくる。相手の理解力に頼った
喋りとは、要するに「その人の周辺環境」に強く依存した言語の利用。

別の友達がソーシャル方面で呟いていたのは、「コートジボワール戦」
について物凄い勢いで喋ってきた人がいて面食らったとかいうハナシ。
スポーツの話題に疎い友人氏、「対戦相手」やそもそも「何の試合か」
といった前提条件がないまま喋られては、そりゃワケわからんだろう。

こういう具合で、相手にとって会話の前提となるはずの説明を完全に
省略してしまえば、当然ながら相手の持つ知識に依存した喋りとなる。

ところが自覚なく相手の理解力に依存している人ほど、そこで理解を
示してもらえなかったりすると、「話が通じない、コイツなんなんだ」
みたいな具合にキレたりしがちなのもまた残念ながらよくあるハナシ。
そりゃぁ理解を押しつけられる側としては溜まったもんじゃないよね。

逆に理解できてしまったりするものまた苦労を負わされたりする原因
となっていたりするんだけど、まあ相手によっては許してもいいかな。

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