« 任せられぬ故の不安 | トップページ | 自称逸般塵の不通の日記(473) 梅雨の中弛みを予定する »

2014/07/03

負かせられぬ不信感

20140703_dscf9347_1s


他者を信じて委ねる姿勢と、信じるコトができず不安を垂れ流す姿勢、
どちらの姿勢が有利かは、まあ環境条件により全く異なるコトだろう。

昭和の日本の社会の中なら、他人より先に相手を信用する姿勢の方が
好感を持ってもらえる可能性が相対的に高く、周囲の尊敬を得やすい。

一方で、同じ時代の外国では逆に他者を信じては危険だという社会も
あっただろう。21世紀の日本ではどうなのか、は語り出すと長くなる。

ただ少なくとも、相互に信頼し合うコトが可能ならば、そっちの方が
社会は居心地良かろう、不信感は相手の不快感を惹起する傾向が強い。

--
特に、何の具体策も出さぬまま不安を垂れ流すのは、本人の精神衛生
に於ける効果はともかく、周囲に対しては迷惑や弊害となるばかりだ。

個人的には、身近な人のコトであればソレを念頭に置いて対処できる。
しかしあまり身近でない人、よく知らぬ人となると、ちょっと面倒だ。

不安の根源にある不信感を解きほぐすには膨大な情報を伝える必要が
あるワケで、そのうえ相手が多少なりとも自分を信用して聞き入れて
くれるならまだしも、そうとは限らず手間や時間を余計に費やしたり
する場合も多く、いちいちやってられるかよ、ってのが正直なトコロ。

だから、見知らぬ他人に対しての不信感が存在しているコトは認める。
ただそれを表面化させぬようにしていて、消極的に距離を置くだけだ。

(とはいえ見知らぬ相手からでも回答できそうな質問なら応じるけど)

|

« 任せられぬ故の不安 | トップページ | 自称逸般塵の不通の日記(473) 梅雨の中弛みを予定する »