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2014/07/06

ニホンのキホン・なんだか政治しそうな気配

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「今の(=そのときどきの)」日本の政権に対しては割と寛容な姿勢で
いる方であるらしい、という自覚はある。ソーシャル()方面で友達や
見知らぬ他人が首相の名を挙げて「政策が愚かである、辞めるべきだ」
などと力説したり放言したりするのを見ていて、「この人こそ短慮で
ないという確証はない」などと思ってしまうくらいにはヒネクレ者だ。

報道というのは人の目と脳と手が介在している以上、常に偏りがある。
それも、報道というビジネスに於いて有利な方向へと傾きがちなもの。
現政権への批判は、売れる。だから情報を取捨選択する際にソチラの
方向性のものばかり集めて、ツギハギして、これ紙面でございとなる。
こういうのは切り貼り論文と大差ないか、むしろ害の及ぶ範囲が広い。

実際その記事を読んで政治に怒りを覚えたりするのは、むしろ通常の
反応というコトになるのかもしれない、なにしろソレは「読んだ人が
怒るように」というスジガキで作られた作品なのだから狙った通りだ。
国語の授業で「筆者の考え」とか「筆者の狙い」なんてを説明させる
のはよくあったけど、そこまで読まぬ人が多いからこそ教えるのかも。

まあそのハナシは措く。今日のネタは政治と思想。コイツは根が深い。。

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まあそのときどきの政権に対し割と寛容な姿勢であるらしい自分でも、
実は現政権における教育関連の政策に限っては全く支持できずにいる。
特に文科相周辺、親学EM江戸等の影響を完全に排除してくれない限り。

学術方面などからは「道徳的だからといって嘘を教えるな」といった
批判が強く挙がっているにも関わらず人脈的に優遇ポジションにある
のは、言ってみれば「道徳的だから」こそ優先する政権というコトだ。

これらの列挙したネタは他方で有害図書的な考え方にも通じるもので、
要するに“お上”から民草に対して創作物に関する一つのモノサシを
押しつけているように思える。そのあたりが、どうしても馴染めない。

治安維持に都合が良く、政治というビジネスに於いて有利との考えが
あるのだろうとは思うが、いずれにせよそれが情報の取捨選択に際し
道徳的な方向ばかりに偏るコトとなり、論文や新聞と同様に害を為す。

反政府方面でも似たようなもの、いかにも公平に扱っている風を装い
つつ概ね妥当と考えられる説と大いに偏った極論とを取り上げ両論を
併記した公平だと詭弁したる漫画原作者の話題は、まだ記憶に新しい。

で、積んでた文庫本を消化していたら、こんな記述に出会って吹いた。
明の建文帝が叔父の軍勢に攻め込まれた際、宮殿に火を放って死んだ
のでなく脱出して忠臣に支えられ長く生きたというハナシについてだ。

「日本で最初に建文帝の話を紹介したのは室鳩巣である。18世紀前半の学者、幕臣。六代将軍家宣、七代家継、八代吉宗につかえた。新井白石と親友であり荻生徂徠と同時代にあたる」
「美談としてものがたろう、というわけですね。まったく日本の学者は道徳ずき、美談ずきです。そこがちょっとクサイんでもあるんだが――」
「鳩巣じいさんも油断がならんね。忠義宣伝のために平気で創作をまじえるんだから困る」
(高島俊男「しくじった皇帝たち」ちくま文庫)

こうして読んでみると、自らの政治姿勢に有利なモノガタリを集めて
プッシュするのは、まあそこそこ平和が続いた太平のヨノナカなどに
“ありがちな”現象なのかもしれない。とは思うけど、それにしても。

いや平和な時代でなくても、ヨノナカにウケの良いモノガタリが提供
され消費されることで時代の空気というのを作っていくものではある。
まあ民衆が自ら欲するモノガタリを消費して空気を排泄してるだけか。

大衆媒体は客の傾向に迎合するだけだし客商売と化した為政者もまた。

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