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2014/09/25

社会の半分は気分で

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様々なイレギュラーを容認する余裕が乏しくなってきた今の社会情勢。
でもその余裕のなさを都合の良い言い訳として使っていいのだろうか。
不寛容というのは理由が何であれ社会に蔓延して人々の居心地を悪く
させて更なる余裕のなさに繋がり人々の不寛容さを増してゆくばかり。

某連合王国を形成する地域の一つが独立を問う住民投票を先週やって、
もし独立が決定していたとするなら他の地域から反発を受けただろう。
その独立運動の原動力は経済的な不遇感が大きかったと伝え聞いてる。
要するに他地域の企業に富を吸い上げられまいとする不寛容の姿勢だ。

中近東あたりでは極めて不寛容な武装勢力が国を名乗って活動してて
あまりの不寛容で同じ宗教を信仰する者たちからも反発を受ける有様。
未だ勢力を拡大中らしく動向が気懸かりではあるが北方の大国も敵に
回す発言をするなど世界中を敵に回す勢いであり先は長くないのかも。

アフリカ西岸あたりでは致死性の高い伝染病が流行って治療のために
先進国の医師たちが入り込んでいるのを何だか勘違いした人々だとか
(ひょっとしたら仕事を奪われた呪術者みたいなのも?)が敵視してて
医療施設を襲撃して患者を連れ出すなどの所業にも及んでいるだとか。

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いろいろ考えてみると、まあ不寛容も含めヒトの感情というのは今の
時代でも社会を動かす原動力なのだなと実感。太古から何も変わらん。
少なくとも2000年以上も前から人間社会には理性が重要だの何だのと
口酸っぱく言われているにも関わらず、こんな有様なのがヒトである。

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