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2014/09/26

正義が害を為す社会

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さて、この感情というのが法治国家に於いては非常に厄介なのである。
特に罪人に対する感情的な制裁など放置すればオーバーキルの危険が
あるし下手すると一族郎党仇討ち合戦なんてなって共同体まで割れる。

それゆえ為政者は制裁の権限をヒトビトから取り上げるのが一仕事で、
まあ為政者が好みでない方々からしてみれば気に食わんコトかもだが、
為政者に対する好き嫌いとは別に社会への功利功罪も考えて頂きたい。

ハナシがズレた。要するに感情を私的制裁という形で行使するコトは
社会を壊す危険があるので制限される。けどそこには抜け穴も多くて、
たとえばマスメディアの報道などは公益を口実に規制されぬのが通常。

それが一種の特権のような形となってヒトビトの好む私的制裁を実行
していたりするケースも少なくない。経済成長が停滞してヒトビトの
鬱憤が溜まる時代には特に義憤というカタチの憂さ晴らしを提供する。

しかし個人的な鬱憤を義憤として晴らす行為は単なる娯楽に過ぎない。
昔ながらの時代劇シリーズみたいな筋書きなどフィクションの中のみ。
それと同列に見倣すかのような現実の扱い方は妥当でないと思うのだ。

まあそういう勧善懲悪な発想に立った叩きだと、そりゃあ視聴者読者
サマサマの溜飲を下げるのに役立つかもしれないがソレは単なる娯楽。
またその娯楽を提供するコトで収益を得ている企業ってのがいて、ね。

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いやそのコト自体は構わないんだ、営利企業は収益を目指す存在だし。
しかし、犯人捜しだの糾弾だのは私的制裁に相当するもので、それが
今の社会では過剰で弊害が多すぎるのではないか、と考えているのだ。

社会正義みたいなのが猛威を振るって結構な大組織でも簡単に潰して
しまったりするヨノナカ、当然ながら、その影で膨大な数の人たちが
(組織内だけでなく取引先なども含めて)とばっちり食って泣いている。

しかも、より重要な要素からは遠ざかる一方。再発防止およびそれに
繋がる原因究明、既に生じてしまった損害の把握と救済、そういった
冷静さを要する行為を、私的制裁の流れが強すぎると妨害してしまう。

将来に更なる被害を発生させたいとか、救済よりむしろ被害を拡大し
原因元に対し更なる糾弾をしたいという考えなら、合理的ではあろう。
でもそれが自ら掲げる正義に該当するよ、なんて言う人もおるまいに。

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