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2014/09/27

社会の半分は地味だ

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だけどこの42カ月あまり、確実さや現実より正義の方を重んじる人が
社会の中に相当数いて、しかもそういう人たちの声は(実数と比べて)
非常に大きいのだと、次第に分かってきた。そのあたりも厄介なのだ。

感情だけでどうにかなるようなハナシでなかった場合、現実に対する
認識を歪めてまで感情の根拠を維持しようとするのがヒトではあるが、
それによる失敗例は無数にあり、個人だけでなく組織としての失敗も
数知れず報告されてるにも関わらず、まあヒトの寿命って実際そんな
長いワケでもないし個々人が接するコトのできる情報の量にも限界が
あるからな、ヒトビト全体でみれば今後も相変わらず何度も繰り返す。

まあそんなもんだ、「分かっちゃいるけどやめられない」あ、ソーレ♪
分かってても遣り場のない感情を外から突いたところで反発を受ける
ばかりで、下手すれば余計に感情をこじらせるコトにもなりかねんし。

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やめられないなら、やめずに何とかするよう試みるしかないだろうな。

正義感に繋がるような意識は尊重したい、が、効果がなかったり逆に
悪影響の方が大きいような言動は好ましくない。だからもうちょっと
スマートに正義感を発露するようにできないものか、ヨノナカ全体で。
大上段の理想だの理念だのを振り翳すのでなく、もっと現実に即した、
そして実効性のある形で、意識を現実へ繋げるように仕向けるだとか、
情による原動力を理により望ましい方向性へ導く、とかそんな具合に。

たとえば知恵を働かせて方策を練って、感情的なエネルギーは次第に
弱まるけど初期の強い力を上手に使って、その後は効果が出るまでの
間を冷めぬよう維持しつつ忍耐強く待って、達成までをフォローする、
そうした形を実現するための具体的な方法論は、おそらく課題ごとに
個別に論じなければならないだろうけど、ある程度の流れなら一般化
するコトも可能なような気がする(相当な事例の蓄積が欲しいトコロ)。

面倒臭いし決して手っ取り早くはないけど、人生ってそんなもんだろ?

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