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2014/09/28

色味があるのが社会

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たまにいる、ソーシャル()や現実社会に出没するアレなヒトビトって、
救ってくれるカミサマのいない宗教のようなものに染まってるのかも
しれない、とかふと思ったりした。そりゃあ救われないな、とも思う。

視界の端の方に映る映像は色味も分からない。それと同様に、あまり
見たくないあまりに視線を向けようとせぬ対象については何色なのか、
そもそも色味が違うのか、といったコトさえ分からなくなってしまう。

色彩感覚は霊長類が食べ頃の果実を見分けるのに役立った、と聞くが。

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「そんなコトなど視界に入るのさえ許しがたいから0か1かで判断する」
みたいな人間は(対象こそ様々だけど)ヨノナカに数え切れぬほどいる。
けど見たくなくても否応なく見えてしまったりするのが今の情報社会。

そういう場面で、「今の自分の感情を肯定してくれない情報源はクソ」
みたいな感覚で情報源を一つひとつブラックリストに載せていったら、
最後はネットの怪談、ほぼ虚構のネタくらいしか残らない気がするな。

オキャクサマは今の自分の感情を肯定してくれるコンテンツばかりを
消費したがるけど、それは現実ではなくモノガタリであると弁えよう。
もちろん提供する側もだけど、消費する側の心得としても、やはりね。

まあいずれにせよ、許せないコトが多い人って生きるの辛そうである。

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