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2014/12/12

投影できるのは中身

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自分も考えながら、相手にも考えてもらう、そういう対話のスタイル。
だからまあ、「自分以外に考えさせない」話し方をするような相手は
ちょっと苦手かな。口を挟ませないようなタイプとか、そういうヤツ。

考えるという行為そのものは、人間なら誰でも、大差なく行っている。
ただ人それぞれに知ってる世界が違う、そして他人の知っている世界
について詳しく知らないコトもある、ゆえに考え方が相違してしまう。

というより違って当然なのだから、他者が口を挟むのを排除するのは
その違いを受け入れまいとする独善、あるいは拒絶の姿勢を示すもの。
まあ拒絶の理由は人それぞれだと思うけど、こういうのは未だ苦手で。

特に、その調整を拒否する姿勢の示し方、コイツが非常に厄介なもの。

人によっては高圧的な態度で威圧して萎縮させようとしてきたりする、
それでもなんとか勇気を出して反論しようとすればエスカレートして、
それこそ脅迫めいたコトにまで及ぶようなヤツがいて、今でも苦手だ。

で、その相手にはトラウマのように苦手意識が、拭いきれず残ってる。
できるなら距離を置きたいんだけど仕事の縁もあり、なかなか切れず。

ああまあいいやこのへん言い出すと愚痴しか出てこないんで中断する。

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とはいえ、ちょっとだけ拒絶したくなるキモチも分からないではない。

他者と意見が対立したとき、それを互いに調整してスリ合わせていく
のができない、面倒だとか余裕がないとか、そもそも「0か1か」しか
選択肢を考えられないとか、他にも幾つか心当たりは、自分にもある。

あるいは相手次第で調整が可能であっても、もし相手が「01」でしか
決定できない相手だったらスリ合わせしようとする努力をしても結局
無駄になってしまうのだからと、手間を惜しんだ選択なのかもしれん。

でもそれって、自分自身がそうだから相手もそうである可能性が高い、
みたいな投影だったりしてないかね、特にアイツそんな感じですけど。

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