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2015/05/22

たまには時事ネタ(103) 大阪との抗争事案

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主に他の自治体の話題なので詳しい動向までは知らないのだが、全国
ネットのニュースなどを見て誰と戦っているのだろう、とは思ってた。
まあ政治の世界からは「過去の人」となった(はずな)ので、これから
政治の表舞台から去って行く中で、色々と検証が進むだろうとは思う。

そう、あの前府知事で市長になってるヤツ。手法としては嫌いな部類。
鬱積した大衆の不満(ほぼ不可避だった不況が主な原因だったりする)
の捌け口として敵を設定してやって槍玉に挙げるコトで自らの人気を
高めた、K泉J一郎あたりと同じく衆愚に繋がる道。として嫌っている。

まああれほどまでの影響力を持つ前に引退を決め込む結果となったが、
もしかしたらK泉J一郎と同じく引退宣言してもほとぼりが冷めた頃に
何となく自分へのケジメを破って政治的な発言をし始めるかもしれん。

とはいえ、伝え聞く発言によると政治の世界での一発屋に近い存在で
あるという覚悟はあったらしいので、今後は全く新しい道へ転身して、
以降それっきりにしてくれたらいいな、とも期待する。分からんけど。

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あとついでに「政治」の周辺に蠢く存在についても思うトコロを書く。
特にマスメディアとか、ソーシャル()あたりの、いわゆる「政治部」。

今の政局を云々する連中は、勝っただの負けただのといったハナシに
ばかり注目するが、歴史学的な視点でみれば、そういうハナシをして
盛り立てる存在そのものも極めて政治的な存在なんじゃないかと思う。

しばしば連中って「声なき民の声を云々」みたいに言っているけれど、
声を持った時点で「声なき」ではなくなって、相応の影響力が生じる。
しかもそれが純粋な正義感ですらなく、多くは業として手掛けていて、
商売的あるいは政治的な下心が見え隠れしてるのが、実にいやらしい。

「改革」「革命」「維新」みたいな言葉を使うのは、大概そんな印象。

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