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2015/05/06

新しさにも意味あり

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このあたりは近代まで農村、延々広がる洪積台地の上には雑木林と畑、
それからおそらく散らばり気味の集落、ところどころ曲がりくねった
細い谷が刻まれていて崖には竹林、少し広がったトコロがあれば水田、
といった具合であったと思われ、台地の中でも少し高まった場所には
往古の城砦跡があったり寺社が巨木に囲まれ座していたような感じだ。

近代になっても長らく「武蔵野」として発展を続ける東京市の郊外に
あって食料供給や行楽の地という役割を担っており、たとえば近くを
走る私鉄も江戸時代からの伝統である下肥を運んでいた、といわれる。
このあたりの歴史を詳しくは知らないが、概観した感じでは大正から
昭和初期あたりの頃に宅地化が始まったとみて、ほぼ間違いないはず。

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建材の種類とか、その古び具合から、年代を推測しては楽しんでいる。
特に寺社は長く大切に使われる建物なので、うってつけの観察対象だ。
しかも、かなり古くからの資料があるコトも多くて答え合わせも容易。

個人的な好みでは百年以上も風雨に晒され続けてきた木材の枯れ具合、
逆に近代でいうと鉄筋コンクリートの表面に施された白い砕砂利入り
(御影石風?)化粧モルタルとか、型を使って凹凸つけた装飾ガラス窓。

後者の類でも民間や行政の建物だと絶滅寸前で、ほぼ目に掛かれない。
だから詳しく見てしまうのだけど、見ていると地域全体の傾向もまた
おぼろげに浮かび上がってきたりして、さらに楽しみを増してくれる。

創建再建修復等の年代をざっと見ていくと、たとえば江戸時代の前半
あたりに創建された寺院が少なくない、これはつまり人口が流入して
開墾が進み近代までの武蔵野の姿を作り上げた活動に相当するものだ。

次に目立つのは昭和10年前後、少なからぬ寺社に痕跡が残されている。
大掛かりな増改築もあれば、大きな神社を勧請したというのもあるし、
また企業と市民団体とが公園を寄贈したなんていう例もあったりする。

東京市が周辺町村を編入した前後のコトだ、既に周辺人口が急拡大し
宅地が広がってきているのを追認して取り込む形であったはずである。
人口増により参拝者も増え、寺社の増改築への機運も高まったのだな。

時代が激しく変動して社会の構図が変化した後しばらく、1~2世代も
経つと経済的な効果が目に見えるようになって、建築物に現れてくる。
そういったヨノナカの動きの時間的スケールも、少しずつ見えてくる。

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