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2015/07/29

何の顔を立てるのか

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考えてみれば、祭礼の場で特定の政党とか政治家とかを槍玉に挙げた
掲示物みたいなのを敢えて出す輩だと「ハレの場で政治の話はするな」
とか言われたら余計に反発してエスカレートしかねないとも思ったり。
でもそればかりでは課題解決の道筋には繋がらない、とも思うのだな。

小学生の頃の記憶は今や曖昧になっているけど、何かのときに校長が
「小さな勇気を持て」と語ってたコトは、何故か妙に今も覚えている。
「大きな問題に立ち向かう大きな勇気も大切だが、日常の小さな問題
を蔑ろにせず解決していこうとする小さな勇気も大切」といった内容。

よく国政で、内政問題から目を逸らさせるため外交問題を槍玉にする、
みたいなコトがあるけど、個人レベルでも身近な課題に取り組まない
言い訳として社会問題を云々してしまうコトがあって、そんな自身の
姿勢を自覚し改めていくのは、人間として重要なのではないかと思う。

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組織内の個人とかも微妙な人間関係の中で身近な課題を放置してたり
する場合があって、気付けば深刻な問題に発展してしまったりもする。
いや課題を放置してると悪化してしまうってのは大概そうなんだけど、
組織にはソレが生じやすい上に問題が大きくなってしまいがちなもの。

多くの組織は何らかの形で上位組織の指導下にある。その「上」から
組織における何らかの問題を示す指標について厳しい目標を与えられ、
その指標を計上する際の基準も同時に委ねられてたら、まあだいたい
「問題が小さく見える基準」を設定して数字を抑え込んでしまうよね。

上位組織は大きな問題に取り組んでいるコトを内外に示すための指標
として与えたつもりでも、下の組織にとっては「上からのノルマ」の
一つとして取り組まねばならぬ性質のものとなるワケで、数字ばかり
重視するあまり、結果として本来の目的である課題解決から遠ざかる。

「いじめゼロ」「待機児童ゼロ」それから某社の「チャレンジ」とか、
どんな良い目標でも組織の体面というかタテマエに堕したらおしまい。
そういった人間ごときの面子など差し置いて、現実は動くものだから。

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