単発連載

2013.05.17

思考の志向・こくご(論理的でない)

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ソーシャル方面では論理的な著述を訓練する機会が乏しいとの話題も。
たしかに国語の授業では基礎となる文字や文法の学習から一足飛びに
文学作品の情緒的な解釈ばかりさせられていたような印象が残ってる。

いわゆる修辞法の教育など日本の科目から失われているのではないか。
その背景となる論理学、さらにそのエッセンスを含む数学については
初等教育には出てこないし、「公式を暗記する科目」だと捉える人も。

そういうのが、いきなり大学でレポートを“書かされる”ようになり、
「文学の読解が苦手で理系に」という人が苦手な文章を書かされたり、
「論理的思考が苦手で文系に」という人が苦手な論述をさせられたり。

複雑に区分された学習体系の狭間に転げ落ちているのかもしれないな。

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2013.05.16

思考の志向・並ぶ木を見て森を思う

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暗記物といえば活用や年号に公式などいろいろあるが、元素の周期表
については思春期の男子が好みそうなエロネタが多いのが伝統らしい。
昔の学生は男ばかりだったから、なんて話題もソーシャル方面で聞く。

まあそれはそれとして、周期表は一時期ほぼ暗記していたコトがある。
全体像を画像のように記憶し、さらに縦横の並びそれぞれ覚えておき、
図に当てはめるように引き出していた。高校・大学の頃だったと思う。

その図の形状は電子軌道の「定員」を思い出すのに役立ち、族ごとの
性質を思い出す糸口に繋がり、まあ要するに図に込められた意味合い
というのを、それなりには活用していたと言えるんじゃないだろうか。

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2013.05.15

思考の志向・全体像を念頭に置いて

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たいがい文章を書くときには全体の論理構造を考えるようにしている。
いやそんな御大層なコトでもなくハナシの流れを意識してる程度だが、
このブログでも一つのエントリ内での構造、それから前後のエントリ
との関係、写真やタイトルと本文との関係など、それなりには考える。

たとえばニュースを見たときの反応も、まずはその背景にある事情を
推測して社会全体の動きの一端が表れたものと捉えようとし、その中
に自分はじめ様々な人々がどこにいるかポジションを把握、といった
考えを巡らすのに割と時間を割き、おかげで反応は少し遅い気がする。

そういう習慣は、ある意味で慎重さに繋がっているのだろうとは思う。
といっても人間の持つ能力なんて大して差があるワケでもないものだ。
全体像を描いた上で細部を煮詰めていこうとすれば工数が多くなって
時間がかかってしまうのも致し方なく、あとは程度の問題となるかな。

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2013.04.26

はなばなし・花は示す、人の在りし処を

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日曜の最後に訪れたのは奈良時代に創建と伝わる古刹で今の時季はシャガの見頃だ。
好きで見に訪れるほどなので名前も覚えたが、この山寺までの道筋のところどころ
に設置されている看板では「菁莪群生地」とあるものの著莪または射干と書くのが
一般的らしいとは、ずいぶん後になって知った(単に看板の書き間違いかもしれん)。

寺は本堂など数カ所の堂宇が残るのみだがシャガの群生地は山腹の広い範囲に及び、
堂を巡り急な石段を上り下る間にも随所で透明感のある白い花弁が目を楽しませる。
ところどころには斜面の一部を切り崩したり土盛りをしたかのような平坦地があり、
そういった場所では木々の下で多めの木漏れ日を浴び白い花畑のようになっている。

日本のシャガは三倍体のために種子が発生せず根茎で殖え、分布域や遺伝的な分散
などから人為的に持ち込まれた帰化植物とされる。原産地は中国大陸であるらしい。
可憐で新奇な植物は目を楽しませるために人から人へと伝えられて植えられていき、
人の生活が途絶えた後にも残って根付いて状況が許せば繁茂していったりするのだ。

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2013.04.25

はなばなし・見ようによって姿を変える八重咲きの花

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ツツジの公園の反対側の丘の麓は、室町時代の武将の逸話にちなんだ山吹の公園だ。
こっちはツツジ公園よりさらに後から整備されたらしく数年前までは知らなかった。
この一帯の浅く広い谷間の西側に沿って古くからの街道があり線路も市街地も西に
寄った形となっているが、手狭な旧街道を補うべく近年になって農地が多い東側を
通す形で十数年前くらいから伸びてきたバイパスが、ちょうど山吹の公園の目の前。

江戸時代になると山吹色とは黄金の代名詞みたいな扱い(昭和の時代劇の偏見)だが、
まあそれはそれとしてヤエヤマブキは歌に歌われるほど昔から存在していたのだな。
その武将の時代には既に昔の歌であり、教養として扱われているくらいなのだから、
大昔のハナシというのは昔の人にとっても、今の人が思うのと同じように、やはり
昔話なのであり、それゆえに教養として共有されていた、と考えるのが妥当だろう。

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2013.04.24

はなばなし・緑の中を咲き乱れている真っ赤な躑躅

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もちろん場所にもよるが低山の山腹というのは人の手が入っているのが普通であり、
花粉症の季節には杉檜が問題視されるものの他にも単一樹種が固まって植えられて
いるような場所が割と多くて時季などによって遠目にも目立って見えるコトがある。

五大明王を祀る山腹の堂は参道ともども古くからツツジの花に囲まれていたらしい。
近年になって、近くの斜面にもツツジを植え通路も設け観光公園として整備された。
その園内を歩いていけば品種の違う花々が目の前に表れては入れ替わり立ち替わり。

市街地や農地が広がり街道や鉄道が走る浅い谷間の反対側から眺めてみれば、その
公園の場所が一目で識別できた。花の時季にあたる今ならではの景色というワケだ。
斜面一面の花というようなスポットでは、向かい側から全体を見渡すのもまた楽し。

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2013.04.23

はなばなし・花も咲かねば目立つまい

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ここ数日、気付けば花シリーズになってるけど、日曜は実家から遠くない花の名所
など幾つか巡ってきたおかげでネタができてしまったので、もう少しばかり続ける。

実家を起点にしたドライブだと、大概は近郊の山裾をウロウロしているコトが多い。
鉄道でいえば八高線沿線、主に高麗川から寄居あたりの、半日で行き来できる地域。
起伏がありつつも山深くなく、人や車が多くなく少なすぎもせず、ほどほどに広い
からこそ景色が快いというもので、そういうのが気に入っているから頻繁に来てる。

こういう場所をドライブしたり散歩していると、低山の斜面の木々の一つひとつを
識別できる距離から眺めるコトになって、それぞれの個性が朧気ながら見えてくる。
今の時季、山の中にポツリポツリと白っぽいトコロがあるように見えるのは藤の花。
少し前なら桜がそうやって知れた。夏や冬には周囲に埋もれて判別できないのだが。

同じ現象は秋にもあって、木々それぞれが赤や黄色や茶色に変色したり落葉したり、
はたまた常緑のまま冬へ向かうものあり、このときとばかり個性を見せつけてくる。
初夏もまた芽吹く時季や若葉の色の違いがある。でも夏ばかりはどれも揃って緑で、
山肌の色合いの違いなど針葉樹広葉樹竹笹草原、それくらいしか見分けがつかない。

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2013.04.22

はなばなし・この花の名前を僕はいつも忘れる

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集団を眺める際には個体識別できてさえいればいいのか。いやそれだけでは足りぬ、
一つひとつの個体について個別に、どの面がどのように良くて悪いのか、また好悪
感情は如何か、そいう細かなトコロまで丁寧に明確化して区別してやってようやく、
「それなりには公正な姿勢かな」というくらいになるのではないか、と思っている。

言うなれば一粒ずつ浜の砂を数えるようなもんで、とてもじゃないが出会う全ての
個人や集団に対して使える手法では現実的になく、適用範囲を限定せねばならない。
だからついつい目立ったトコロにだけ適用してしまうワケだけれども、そうすると
しばしば悪目立ちしてる部分にばかりソレをやってしまって世を儚んでしまったり。

せめてその一つが集団の中でも特異な存在であるコトを認識できれば、まだ違うが。

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2013.04.21

はなばなし・だれもかれもまだらだから

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ソーシャル()にしろリアル()にしろ自分と意見の合う人たちの集まりの中にいると、
互いに同調し合って異様な連帯感に包まれてしまうコトがあったりするワケだけど、
そういう集団から漏れ聞こえてくる意見を外から見ていると、どこからどこまでが
一つの個体によるものなのか分かりにくく、よほど子細に観察していかない限りは
漠然と一括りにして見てしまって、「あの連中オモロイな」だとか、あるいは逆に
「あの集団おかしい」とか「あいつらキモイ」といった感想しか出なかったりする。

まあそういう特定の個体を的確に指摘するコトもなく漠然とした感想を投げ合って、
何となく感情が対立し合った結果として集団間の闘争に発展してしまう場合もある。
そんな争いの詳細を観察していくと、個々の相手まで明確に識別して攻撃している
ような例は多くなく、むしろ「アイツら」への怒りだとか恨みばかりが見えてくる。

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2013.04.20

はなばなし・はなはなにいろ?

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過去ずっと甘やかし過ぎたので今のような自分がいる、という気もしないではない。
ただまあそれでも現状いろいろと自分の中で我慢してる部分だって結構あるワケで、
ソレ自体が単なるワガママであろうと、あまり溜め込みすぎると結果的に良くない。

ついつい気になるトコロばかり注目してしまうけど、そこは全体の中のどれほどか。
常に全体として良い方へ向かってくれたらいいな、と考えるように努力はしている。

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